KATO[10-1422/1423] 特急かもめ 中期編成 | Persimmon's Cafe

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(2018.5.1開店)

一年以上前になるのですがKATOの特急「かもめ」中期編成を導入していましてその事について書いてみようと思います。

 

特急かもめ

 

 

何故にこの昔の客車を入手していたかと言いますと、この編成の導入前に後先考えずKATOのEF58形小窓(茶)を入手してしまい、この古いEF58形が牽引する客車が当鉄道に無く、付属していたヘッドマークを生かして特急「かもめ」をと……模型メーカーの思惑にまんまと乗ってしまっていた訳です(;^_^A

 

 

とは言え、私個人的には10系客車は好きなので、この10系を主とする編成を入手した事には決して後悔してはいないです。

 

色は青、寝台列車のイメージしかなかった10系客車が茶色で特急に使われていたのは新鮮でしたね。

 

私自身の理解のためにもリアルな「かもめ」の話をすると、特急「かもめ」の登場は1937年。

東京と神戸を結ぶ特急「鴎」として誕生し、後に有名な展望車マイテを連結する優等列車となっていきましたが、第二次大戦中に廃止となってしまいます。

しかし、戦後の1953年には京都と博多を結ぶ特急として復活するのです。

復活した「かもめ」は43系客車を軸とした編成でスタートし、時を経て10系客車へと進化していきました。

その過渡期には二等車をスロ54、三等車を10系という混成になり、その辺りを中期と表現される様です。

更にスロ54もナロ10へ置き換え、編成がほぼ10系へ統一された編成を後期と表現される訳です。

客車が更新されて行く度に形式が混成になっていく、旧客ならではで面白い時代だったのだろうなと思います。

しかし1961年には客車特急としての「かもめ」は終焉を迎えキハ82系で気動車化されてしまいます。

そのおかげで行先は長崎・佐世保・宮崎・西鹿児島へと延長していきました。

1976年には485系で電車特急化され博多~長崎を結ぶ「かもめ」となり、現在の787系へと名前が引継がれている歴史の長い特急です。

 

で、模型の特急「かもめ」中期編成。

編成中に今で言うグリーン車のスロ54が3両、食堂車のオシ17が含まれ屋根上の凸凹感が魅力的な長距離列車です。

 

 

切妻である最後尾ナハフ11には大型の点灯式「かもめ」エンドマークが付くという主張の強いスタイル

 

 

美的感覚を無視した「かもめ」だぞ!と言うやっつけ感がタマランのです。

 

今の列車では列車名の主張が無くなったり弱くなってしまってますよね…

個人的にはこういうお客さんが見て直ぐわかる主張が好み。

 

基本・増結合わせて9輌の客車列車です。

 

 

オハニ36

 

スロ54 ×3

 

オシ17

 

ナハ11 ×3

 

ナハフ11

 

行先サボにはデフォルトで博多行が印刷済です。

 

そして車輪は、以前中古で入手した20系客車の車輪更新の為に実はこの「かもめ」編成の車輪を流用するという事情がありまして、オハニとスロはスポーク車輪化してあります。

 

茶色の編成に三両の青い帯を引く二等車スロ54形とスラッとしたノーシルヘッダーの10系の混合編成がタマランです。

 

今回どうも室内灯の通電状態が悪い…

 

実はその流れから以前紹介したC62山陽形をも手に入れてしまっている訳でした。

 

EF58形で京都を出発し姫路でC62形にバトンタッチ、呉線を走り抜け、下関からはステンレス車体のEF10形で関門トンネルを潜っていき、門司から終点博多まではC57かC59……妄想は広がります。

 

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