ヨドコウ迎賓館の見学記 | 鉄道で行く旅

鉄道で行く旅

鉄道旅行を中心としたブログ記事を投稿しています。

大分県日田市を歩いたときに、日田の雛人形から、兵庫県芦屋市にあるヨドコウ迎賓館の存在を思い出しました。

そこで、早速、ヨドコウ迎賓館へ行ってまいりました。

往路は阪神電車の芦屋駅から歩きました。

 

芦屋警察署です。

建て替えられながらも1927年に作られた旧建築時代の玄関だけは昔のデザインが残されています。庁舎全体は2001年に再建されたものです。

 

今では玄関としては使われていないはずの旧玄関がそのまま保存されていました。

 

芦屋川の上流に向かって歩いていきます。

国道2号線の業平橋です。

昔は阪神の国道線電車の芦屋川電停の目印にもなっていた業平橋の照明灯です。

芦屋の、このあたりは平安時代の歌人として有名な在原業平(ありわらのなりひら)の別荘があったところです。

現在の芦屋市には、業平橋、業平町、業平さくら通りなどのほかに、伊勢物語に因んだものなのか伊勢町とか公光町(伊勢物語の芦屋公光との関係と考えられる)などの地名もあります。

また、在原業平の父親だとされている阿保親王の墳墓の「阿保親王塚古墳」がこの近くにあるとともに、親王塚町という町名も残っています。

 

阪急の芦屋川駅を過ぎると、丘の上にあるヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)が見えてきました。

ヨドコウ迎賓館は、戦後の1947年から淀川製鋼所の所有になり、社長の邸宅を経て従業員寮として使われた後に迎賓館という名称になっています。1974年に国の重要文化財に指定され、1989年から一般公開が開始されました。

 

芦屋川のやや上流から見たヨドコウ迎賓館です。画像の中央の右上のところに迎賓館があります。

 

旧山邑家住宅の建築主であった櫻正宗の八代目・山邑太左衛門氏が長女の誕生を祝って、京都の老舗「丸平大木人形店」に制作を依頼した有職人形(1900年から1901年にかけて作られたもの)が雛祭りの時期に一般公開されています。この迎賓館内に展示されている人形は撮影禁止でした。

 

坂道を登ったところにあるヨドコウ迎賓館の玄関です。このあたりの丘陵地から南側に突き出たような地形のところにあるため、1階の玄関前でさえ展望台のような場所です。

 

ヨドコウ迎賓館の設計者は、東京の帝国ホテルの「旧・ライト館」と同じフランク・ロイド・ライトです。帝国ホテルの「ライト館」は1923年(大正12年)に竣工し1968年に解体されました。ところが、フランク・ロイド・ライトは帝国ホテルの竣工前の1922年に帰国していますので、ライト館の建物を完成させたのはライトの弟子である遠藤新でした。遠藤新は「武庫川女子大学 甲子園会館(旧甲子園ホテル)」の設計者でもあります。

 

参考画像:武庫川女子大学 甲子園会館(旧甲子園ホテル)

参考画像:武庫川女子大学 甲子園会館(旧甲子園ホテル) 2017年12月撮影(夜景は2016年11月撮影)

 

このヨドコウ迎賓館の竣工もフランク・ロイド・ライトの帰国後の1924年のため、ライトの弟子である遠藤新と南信により建設されています。

ヨドコウ迎賓館2階の応接間です。

 

大正時代の設計とは思えない応接室です。石材は帝国ホテルのライト館と同じような大谷石が使われています。

 

応接室の近くのトイレと手洗いです。

 

3階和室前の廊下部分です。人形が並べられている和室3室は撮影禁止でした。

 

3階が家族の居住スペースのようでした。

右奥が複数ある寝室です。

 

この和室は「婦人室」と書いてありましたので、御令室が訪問着などへのお召し替えをするための場所なのかもしれません。

この右側の窓枠の下が家族の寝室です。

 

使用人室の1つです。「小間使いの間」と書いてありますので、おそらく女性メイドの部屋なのでしょう。

 

浴室です。

 

ここからが最上階の4階です。

4階にある厨房です。

 

4階にある食堂です。

 

食堂から海側にあるバルコニーに出た後、山側にある食堂を振り返って見たところです。

 

奥行きのある細長いバルコニーを海側に進んで行きます。左奥の塔屋は2階応接室にある暖炉の煙突だと思います。

 

小さな塔屋(煙突塔)を潜り抜け、バルコニーの海側の先端から見た芦屋川の下流方向です。阪急の芦屋川駅が見えていました。

 

愛知県犬山市にある博物館明治村に保存されているフランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテル(東京)の旧・ライト館の玄関部分です。(2003年12月)

帝国ホテルの旧・ライト館と明治村の陸蒸気「12号」です。(2003年12月)

 

シャープ・スチュアート製の「明治村12号機」は新橋~横浜間の開業2年後の1874年に輸入された本邦鉄道開業初期の23号機でした。(2010年12月撮影・博物館明治村)

現在の「12」号機の意味は1911年に名古屋鉄道尾西線の前身である尾西鉄道に払い下げられ尾西鉄道12号機になったからです。

 

ついでに「JR桜木町ビル」に関する情報です。

新橋~横浜開業時のヨークシャー製(開業前年の1871年製)の10号機関車です。(2019年2月・青梅鉄道公園)

この機関車は長らく青梅鉄道公園に保存されていましたが、2020年6月に開業するJR桜木町ビル(初代横浜駅の地であり、同ビルの3階から12階にJR東日本ホテルメッツ横浜桜木町が入居する)で展示される予定になっています。このため、青梅鉄道公園での展示は終了しています。

横浜市のJR桜木町ビルです。(2020年1月撮影)

 

帝国ホテルの旧・ライト館の室内です。(2003年12月)

この建築は、博物館明治村の中でも特別な建築として保存されていますが、1923年(大正12年)の竣工ですので、半ば冗談ではありますけれども、明治村(愛知県)よりも大正村(岐阜県)がふさわしいと思います。 

 

(2003年12月)の名鉄犬山駅では、こんな写真も撮っていました。

まだ現役だった名鉄パノラマカーです。しかも7000系よりも先に引退した7500系だわ

【大発見】

博物館明治村で撮影していたはずの帝国ホテルの屋内の写真を探しているときに、偶然にも「ロフト(←現在の社名)」で購入したときに記念撮影をしておいたケロリン桶(東日本バージョン)の画像が出てきました。自分では写真を撮っていたことさえ忘れていたものです。

しかもバスマットも一緒に買っていました。ちなみにバスマットは現存しないため記憶にもありませんでした。バスマットと違ってケロリン桶本体は一生ものです。たぶんロレックスの時計(持ってないけど)よりも丈夫で長持ちするでしょう。

 

ヨドコウ迎賓館を後にして芦屋川沿いに歩いていったところ、谷崎潤一郎の「細雪」の文学碑がありました。

よく見ると細雪の文字の下に「松子書」と刻まれていますので、谷崎氏夫人(3人目にして最後の妻で細雪の幸子のモデル)の松子さんの揮毫です。

 

芦屋川駅から阪急電車で大阪梅田駅まで帰りました。

(おわり)