昭和の時代、国鉄の客車寝台特急は、そのボディカラーから「ブルートレイン」と呼ばれ、非常に人気が高い列車でした。
その嚆矢と言えるのは「20系 特急形寝台客車」でしょう。
それまでの旧型客車とは一線を画すモダンなスタイルと豪華な車内設備は、高度成長時代を迎えつつあった当時の日本社会に大きなインパクトを与えました。
その、当時最新鋭の「20系」も、山陽本線の「あさかぜ」「さくら」や、常磐線の「ゆうづる」などは、一部区間で蒸気機関車である「C62形」が牽引していました。
当時の山陽本線や常磐線は、まだ全線電化は成されていなかったのです。
時代ですね。
写真は、閉店した「ポポンデッタ イオンモール福岡」で撮影したもの。
KATOの「C62形 3号機」が牽く「20系客車」です。
現在の視点で見ると、まるでイベント列車のようですが、当時は実際に牽引していたのです。
カーブを走り抜けてくる「C62形」牽引のブルトレ。
かつては、KATOから「C62形」と「20系客車」を組み合わせた「C62 ブルートレインセット」が、「品番 10101」として定価 11,500 円で販売されていました。
当時は消費税は存在していませんでしたねぇ。
私にとっては、「20系客車」の牽引機としては「EF65形 500番台」のイメージが非常に強いので、「C62形」が牽引していたと知ったときの驚きは大きかったですね。
実際に見てみたかったなぁ。
その嚆矢と言えるのは「20系 特急形寝台客車」でしょう。
それまでの旧型客車とは一線を画すモダンなスタイルと豪華な車内設備は、高度成長時代を迎えつつあった当時の日本社会に大きなインパクトを与えました。
その、当時最新鋭の「20系」も、山陽本線の「あさかぜ」「さくら」や、常磐線の「ゆうづる」などは、一部区間で蒸気機関車である「C62形」が牽引していました。
当時の山陽本線や常磐線は、まだ全線電化は成されていなかったのです。
時代ですね。
写真は、閉店した「ポポンデッタ イオンモール福岡」で撮影したもの。
KATOの「C62形 3号機」が牽く「20系客車」です。
現在の視点で見ると、まるでイベント列車のようですが、当時は実際に牽引していたのです。
カーブを走り抜けてくる「C62形」牽引のブルトレ。
かつては、KATOから「C62形」と「20系客車」を組み合わせた「C62 ブルートレインセット」が、「品番 10101」として定価 11,500 円で販売されていました。
当時は消費税は存在していませんでしたねぇ。
私にとっては、「20系客車」の牽引機としては「EF65形 500番台」のイメージが非常に強いので、「C62形」が牽引していたと知ったときの驚きは大きかったですね。
実際に見てみたかったなぁ。
コメント
コメント一覧 (6)
出していたそうです。正確な再現ではなく当時の製品化されていた車種かつ
フリーの編成でしたが。
その伝に倣い旧製品C62を中古屋からサルベージし、色差しした20系旧製品
曳かせるのも一興かもしれません。どうせEF65・70の旧製品もいますし。
コメントありがとうございます。
お写真も、撮影記も、レイアウトも、どれも素晴らしいですね!
軌間の違いを表現されていたり、自動車が走り回っているのには、心底驚きました。
KATOの「C62 ブルートレインセット」は、当時は不人気商品だったと思います。
デパートでずっと売れ残っていたのを覚えていますからね。
反面、当時の花形だった「EF65形500番台+20系」や「EF65形1000番台+24系25形」のセットは、かなり売れていたように思います。
私は「24系25形」のセットが欲しかったのですが、お小遣いを貯めても及びませんでした。
(>_<)
コメントありがとうございます。
KATOの「20系旧製品」は、「ナハネフ」が製品化されないなど、車種の選択に少々疑問がわくラインナップでしたから、編成例もフリーにならざるを得なかったのでしょう。
とはいえ、黎明期のNゲージ鉄道模型を支えた名モデルです。
当時もののKATO電機に牽引させるのは王道といえるのではないでしょうか。
もちろん、カーブでは盛大にスカートを振って・・・。
(^_^)
コメントありがとうございます。
電気機関車に置き換えられつつあった「C62形」と、最新型客車だった「20系」の組み合わせは、当時としてもミスマッチな感じがあったように思います。
全国的に電化が急速に進みつつあった時代ならではの光景だったのでしょうね。
「ゆうづる」が走る情景、叙情的で良いですね。
当時の乗客の皆さんは、いまどうしてあるのでしょうか。