鉄道写真家はこうやって難関を乗り越えてきた!!
2か月に1回お届けしている「助川康史の『鉄道写真何でもゼミナール』」ですが、5月には番外編として、ニコン「Z5II」のインプレッションをお送りしました。
高性能なミラーレス一眼が普及し、鉄道写真撮影も失敗が少なく、また快適に撮影できるようになってきました。私たちプロ鉄道写真家もその恩恵にあやかり、カメラの機能や性能の向上によって確実に仕事をこなせることに感謝しています。

ただ、カメラやレンズの性能だけでは、どうしようもならないシチュエーションに身を置くこともしばしば……。そんな時の撮影は、困難を極めたりします。しかしそんな窮地でも、プロ鉄道写真家は、様々な創意工夫(?)をして、障害を乗り越えてきました。
ということで、今回の「鉄道写真何でもゼミナール」は、これまた趣向を変えて、私が体験した撮影で悩みながらも経験と知識によって乗り越えてきた撮影のお話をいたします。もちろん、過酷で深刻な話ではありません。鉄道写真を嗜んでいる方なら「わかる、わかる!(笑)」という出来事もあるかもしれません。それはデジャヴなんかではなく、誰もが経験している、いわゆる「鉄道写真あるある」でもあります。それはある意味面白エピソードでもあるので、楽しんで読んでいただければ嬉しいです(笑)。
鉄道写真家こそ、何でも撮れなくてはならない!
「大好きな鉄道を撮ることを仕事にできたらなぁ」と思っている鉄道写真愛好家は、たくさんいらっしゃると思います。実際、以前に何度か「どうしたらプロになれますか?」と尋ねられたことがありました。
少し酷な話かもしれませんが、鉄道写真家になると言っても、急にフリーで始められるものではありません。アマチュアの作品は目を見張るものも多く、技術や感覚などはプロ顔負けの方も沢山いらっしゃいます。しかしいくら腕が良くても、業界でいきなり鉄道写真撮影をお仕事にできる人は少ないでしょう。

鉄道写真業界は一般的な社会構造と同じく、出版社やカメラ業界、鉄道会社などとつながりが無いと始めるのは難しいものです。たとえば、鉄道関連の書籍を発行している出版社に入社したり、作品を持って直接編集部に何度も訪れることが必要になります。また鉄道会社の広報部に所属し、写真担当になったのちに独立してプロになったという方もいらっしゃいます。業界に繋がりを作ることがプロ鉄道写真家になるための大切なプロセスなのです。これは鉄道写真分野だけでなく、写真を生業とする多くの分野のプロにある程度共通する部分でもあります。
私はというと、プロ鉄道写真家の写真事務所に入所するという方法でした。鉄道写真の第一人者であり、私の師匠でもある真島満秀氏の事務所に入り、数年間は下積みを経験しました。私が撮影した作品が書籍等で使われることもありましたが、助川個人として名前が出るお仕事をもらえたのは29歳の時。それが鉄道写真家・助川康史の第一歩となったのです。
さて、我が師真島が弟子に残した名言はいくつもあるようですが、私に語って頂いた一つに、「鉄道写真家こそ、何でも撮れなくてはならない!」という話があります。師曰く、「お前たちは鉄道写真がうまく撮れて当たり前。黙っていても技術は上がり、知識も深くなる。だが取材ではコミュニケーションを取りながら『人物』を撮らなくてはならないことがあるし、駅弁とかの『物撮り』もしなくてはならない。時には駅の何気ないシーンにも気づいてシャッターボタンを押す『スナップ撮影』の感覚が必要になる。鉄道写真は深く、そのほかの分野は浅くてもいいから、広く撮れるようになれ!」とのことでした。それは今も私の心に深く刻まれており、時々皆さんの前でお話していることでもあります。
鉄道写真撮影の楽しみ方は色々ありますが、特定の路線や車両に限定してカメラを向ける人も多いと思います。好きな車両や路線を追っかけ続け、素晴らしい作品を積み上げるというのは本当に楽しいものです。ただ、プロ鉄道写真家はその気持ちも持ちつつ、「鉄道」と呼ばれるもの全てに興味を持たなくてはなりません。車両であれば、それこそリニアモーターカーから、みかん畑で使われているような業務用モノレールまでです(笑)。また、鉄道が走っている土地や、そこに生きる方々の人柄や生活にも関心を持つことも大切です。それが仕事で撮影する写真の「質」に大きく影響します。何事にも興味を持ち、ビビットに反応する心があれば、プロになっても楽しみながら線路際でカメラのシャッターボタンを押すことができ、撮影するコマの一つ一つに魂が宿すことができるのです!
今回のお話の締めのような形になってしまいましたが、本題はこれからです(笑)。
鉄道写真家は写真でお仕事を頂いている以上、納期がありますし、一発勝負の撮影も少なくありません。しかもそんな極限の状態でも「撮れませんでした」ということがあってはなりません。そのお仕事やプロジェクト自体に穴をあけることにもなり、多くの方にご迷惑をおかけすることになるからです。そのためお仕事を頂けなくなる可能性もあります。そんなギリギリの条件のなかで、私が体験したお話をしていきましょう。
ハラハラドキドキで胃がキリキリの最終トワイライトエクスプレス撮影
JR西日本の豪華クルージングトレインとして有名な「トワイライトエクスプレス瑞風」。私も宝くじに当選したら是非乗りたい列車の一つです(笑)。その「瑞風」の先代ともいうべき存在の列車と言えば、かつて大阪と札幌を結んでいた豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」です。
「トワイライトエクスプレス」は、毎日運行ではない臨時列車ではありましたが、沿線では上り列車か下り列車はほぼ毎日見ることができる、身近で憧れの列車でもありました。車内の豪華さはもちろん、それまでの夜行列車=「ブルートレイン」という常識を破り、黄色帯のアクセントが入った深緑色のボディがラグジュアリーな風格を漂わせる、まさに名車でした。

その「トワイライトエクスプレス」が、関西と北海道を結ぶ運行を終了したのは、今からちょうど10年前の2015(平成27)年3月12日のこと。その情報が入った時、鉄道模型「トミックス」ブランドを展開するトミーテックから、依頼をいただきました。「Nゲージで『さよならトワイライトエクスプレス』セット(限定品)を発売する予定なので、3月12日の最終札幌発大阪行の「トワイライトエクスプレス」を撮影してほしい」との内容です。
実は、「トワイライトエクスプレス」は編成ごとに窓の配置や設備が微妙に違ったのですが、今回は第3編成を撮影してほしいとのこと。当初、第3編成は大阪発札幌行の最終列車に充当される予定でしたが、先だっての大雪による遅延や運休によって運用が変わり、最終札幌発の列車で運行されることになりました。
このさよならセットには、大阪行き最終の走行の様子を記録した特別冊子も付録するとのことで、各地に数名の鉄道写真家が分散しており、私は室蘭本線を担当することに。そこで、前々日に北海道に渡りました。撮影内容は、編成写真と共に、食堂車であるオシ24-3のサイドビュー(形式写真)を撮影すること。オシ24-3は既製品とはクーラーの形が違うので、写真が必要とのことでした。
編成写真に加え、通過する列車のサイドビューも撮影するとなると、通常の編成写真撮影よりも線路から離れた場所でなくてはなりません。それを踏まえてロケハンした結果、稀府駅と黄金駅の間の、直線からややカーブする場所を撮影地に決定しました。当日は曇り予報だったので、背景がなるべく林になる場所ということも理由の一つ。超望遠レンズで直線区間をやってくる「トワイライトエクスプレス」の編成写真を、標準レンズでカーブしながら横を通過するスシ24-3の形式写真を、それぞれ撮影するという算段です。
ちなみにこの区間は、長和駅から単線だった線路が、稀府駅から複線になって黄金駅に向かうという線形。これが撮影時にとんでもない状況を生み出すことになるとは……。
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3月12日の最終運行日当日となり、私は予定通り稀府駅~黄金駅の撮影地にセッティング。最終大阪行「トワイライトエクスプレス」を待ちます。なお、黄金駅近くに有名撮影地があるので、多くの人はそこに集結している模様。おかげで、私のいる場所は誰も来ませんでした。いよいよ、上り最終大阪行き「トワイライトエクスプ