鉄道開業150年、進む駅の二極化 JR関係者「稼げるところ開発」

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小川崇 角詠之
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 群馬県安中市の山あいにあるJR信越線横川駅。名物の駅弁「峠の釜めし」で知られるが、1日の利用者は約300人。ふだんは人通りが少ない終着駅だ。

 開業は鉄道草創期の1885(明治18)年。かつては交通の要衝として栄えた。横川から長野・軽井沢方面に抜けるには標高差553メートルの急勾配を越えなければならず、客車を押し上げる補助機関車を連結させる必要があった。ふもとの横川駅の周辺には車両基地や国鉄職員の宿舎ができ、活気にあふれた。

 60年近く暮らす元教諭の佐藤健一さん(86)は「銭湯や劇場などがあり、商店街には飲食店がいくつも並んでいた」と話す。

 しかし、長野五輪を控えた1997年に長野新幹線(現・北陸新幹線)が開業し、並行する信越線の横川―軽井沢間は廃止に。車両基地や宿舎も閉鎖された。

 宿舎跡地には鉄道の展示施設ができたが、廃線時に約3500人いた駅周辺の人口は半分に減った。元国鉄職員で、展示施設を運営する財団の中島吉久理事長(72)は「先の路線が無くなるだけで、ここまで変わってしまうのか」と痛感している。

鉄道で栄えた横川駅は、長野新幹線の開業と共に変化を迎えます。都市部では鉄道各社がこぞって開発を続け、巨大化する駅も生まれています。鉄道開業から150年。「駅」の過去、現在、未来をたどりました。

 一方で、若い世代を中心に地…

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