始まりは大宮だった 鉄道のまち、文化・娯楽も発信 首都の玄関口に

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池田良
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現場へ! みちのく疾走40年⑤

 「車両がたくさんある」「鼻みたいな新幹線だ」

 歴代の鉄道車両や「団子っ鼻」の愛称で親しまれた初代の東北新幹線車両……。大型連休中の5月上旬、多くの家族連れや鉄道ファンらが車両を眺め、写真を撮って楽しんでいた。

 さいたま市大宮区にある鉄道博物館。鉄道にまつわるものが展示され、鉄道の歴史を知ることができる。とりわけ今年は、日本の鉄道開業150年、東北・上越新幹線開業40年、山形新幹線開業30年など、節目が重なる「鉄道イヤー」だ。

 1982年6月23日に東北新幹線が開業した時、みちのくから首都圏に来た人が降り立つ終点は上野でも東京でもなく、大宮だった。開業そのものが「暫定」と位置づけられていた。

 「大宮は今では首都圏から東北や上越・北陸をつなぐ『分岐点』になった。鉄道に携わる関係者の生活圏にもなり、鉄道のまち、として確立されました」。そう話すのは、国鉄出身で工場長を務めた同館副館長の荒木(あらき)文宏(ふみひろ)さん(80)だ。

 博物館は大宮駅から私鉄で1駅に隣接し、東北・上越・北陸新幹線の沿線脇にある。歴史を追体験しながら、現役車両が走行する様子も館内から望むことができる。

 しかし、今でこそ鉄道と歩む大宮だが、沿線住民が新幹線の誘致に猛反対し、訴訟も起こされた歴史がある。

 理由は、高速走行ゆえの騒音…

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