街なかの五色温泉「もう一度」 伊勢崎の「三楽旅館」
JR両毛線・東武伊勢崎線の伊勢崎駅から車で10分。群馬県伊勢崎市の市街地に、知る人ぞ知る名湯がある。五色(ごしき)温泉の一軒宿「三楽(さんらく)旅館」だ。
長らく休業したままだが、鉄分を多く含み、れんが色のような赤茶色のにごり湯は「含鉄泉(がんてつせん)」という関東地方では珍しい泉質の温泉として知られていた。休業から、はや14年。いまどうなっているのだろうか。
2月、現地を訪ねると、「五色温泉」と大きく書かれた立派な建物が見えた。道路の案内板や旅館の看板はそのまま掲げられている。
若おかみとして33年間旅館を切り盛りしてきた高橋美律子(みつこ)さん(65)に話を聞くことができた。すると、「いまは休業中ですが、温泉をあきらめることはできません。いつかもう一度、と思っています」。そんな胸の内を明かしてくれた。
高橋さんによると、温泉は父の宏さん(享年90)が偶然掘り当てた。自動車修理販売会社を経営していた宏さんが工場を建てようと買った土地だった。井戸を掘ると、1本が温泉にあたった。鉄分を多く含み、「単純鉄冷鉱泉」とわかった。半世紀前のことだ。
「父はそれこそ跳び上がって喜んでいました。そして、会社を閉じ、温泉の活用に一気に走り出したのです」。高橋さんは当時の様子をそう振り返る。
旅館はほどなくオープンした。日の当たり方や温度で湯の色合いが変わり、「五色温泉」と名付けた。貧血や神経痛、リウマチに良いと評判になり、ビジネス客や湯治客でにぎわった。宏さんが年に一度開く温泉感謝祭は常連客や地域の人が大勢集まった。「街なかに湧いた温泉ということで珍しがられました」
鉄筋3階建て。別棟と合わせて11室の客室があり、大広間や会議室に飲泉所まであった。当時、都内の短大に通っていた高橋さんは週末は旅館の仕事を手伝い、日曜の終電で都内に戻る大忙しの生活だった。卒業すると、家業に入った。
だが、時代が平成に移り、スーパー銭湯などが次々でき、「街なかの温泉」という強みも薄れ、客足が減り始めた。さらに追い打ちをかけたのが、母のあぐりさん(享年85)の体調悪化。脳梗塞(こうそく)で倒れ、家族経営が立ち行かなくなり、2008年に休業した。
休業後、高橋さんは介護施設などに勤めた。この間、温泉の再生話が浮上したこともあったが、進展はしなかった。その後は手を付けられないままだったが、昨年6月、宏さんが病気で急死。温泉の将来についていや応なしに対応せざるを得ない状況になった。
高橋さんは「母の介護や原油高もあって旅館は休業したが、父が亡くなり、源泉の管理者としてこのまま放っておくわけにはいかない。温泉は自然の恵みであり、地域の宝。なにかよい手立てがないものかと模索しています」と話す。
温泉は最近まで使っていたが、現在はポンプ小屋が壊れ、温泉をくみ上げることができない。「体がポカポカするいい温泉でした。もう一度入りたいですね」
旅館がにぎわっていたころ、宏さんは温泉の歌を自作し、客に披露していた。
♪春は花咲く五色の庭に 桜か ふじか あやめの草 見たや 行きたや 粕川端に 又(また)も咲いたや 恋の花
3番まである歌詞の1番だ。いまもそのメロディーは脳裏から離れない。