第2回富士急行の「創業の地」めぐり、「知事vs.県議会」

有料記事富士山麓はだれのもの

吉沢龍彦
[PR]

 富士山のふもと、山中湖畔の県有地を使って別荘地を経営する富士急行の堀内光一郎社長(60)が言った。

 「山中湖は富士急行の創業の地で、別荘地は祖業です」

 私鉄の富士急行線は山中湖までは来ていない。少し意外に思えるが、そのいきさつは社史の「富士山麓(さんろく)史」(1977年発行)に詳しく書かれていた。

 富士急行は大正末年の1926年に設立された二つの株式会社から始まる。富士山麓電気鉄道と、富士山麓土地である。

 いまのJR中央線明治時代山梨県の大月まで開通すると、寒村だった富士山のふもとを世界的な観光地にしようという機運が生まれた。24(大正13)年、山梨県の本間利雄知事が調査委員会を設置。翌年には、①大月から山中湖方面に鉄道を通す②山中湖畔に別荘地を開発する――、ことを含む構想を作り上げた。

 構想を実現する会社として、県の肝いりで設立されたのが電鉄と土地の2社だ。にわとりと卵に例えれば、県の構想がにわとりで、富士急行は卵となる。

 知事だった本間は電鉄の専務におさまった。今なら「天下り」批判が起こりそうだ。

 今なら、どころではない。開発構想は当時、「たちまち県政界に大きな波紋をまきおこした」(富士山麓史)という。

 世界遺産・富士山のふもとで「山梨の乱」が起きている。富士五湖の一つ山中湖畔にある別荘地をめぐり、別荘地を経営する富士急行に対して、土地を所有する山梨県がこれまで通りには貸せないと主張したのが発端だ。なぜ乱は起きたのか、どこへ向かうのか、富士山麓(さんろく)はだれのものなのか。連載の第2回です。

 県政界の勢力は政友会と同志…

この記事は有料記事です。残り867文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら