三陸鉄道(岩手県)を創業時から支えてきた「さんてつマン」が先月末に退職した。開業した駅に押し寄せる住民の熱気。人口減少とともに減り続ける乗客。そしてあの日、運転再開に向け、途切れたレールの上を歩いた。「より地域に密着した鉄道に」。38年の思いを後輩に託す。

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 震災から10年となった3月11日午後2時46分。旅客営業部副部長の冨手淳さん(60)は、リアス線の閉伊川橋の上で止まった列車内で黙禱(もくとう)を捧げた。特別列車のガイド役として、当時の様子を乗客に伝えた。

 津波で線路や駅舎は流失。宮古駅の事務所は停電し、被害を免れた1両列車のエンジンをかけ、対策本部とした。普代から宮古までの状況が分からなかった。2日後、冨手さんは当時の望月正彦社長(69)と山道を通り、9時間ほどかけて一駅ずつ回った。

開業から苦難の連続

 島越は駅舎だけでなく、線路が…

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