鉄道大家族が住み込む「まなびや」 新たに大切な役割も

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狩野浩平
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 戦時中に開かれ、多くの乗務員らを養成してきたJR西日本の社員研修センター(大阪府吹田市)のリニューアル工事が1月下旬に終わった。鉄道員人生の節目節目で関わる重要な場所だ。団結、反省、安全。様々な思いが交差する「まなびや」は、新たな一歩を踏み出そうとしている。(狩野浩平)

寝食共に一致団結、戦後支える力に

 「戦争で焼けた大阪で、みんな一生懸命に勉強しとった。故郷の親御さんから大事に預かった子だと思い、気持ちを込めて教えた」。元教官の寺田晴男さん(97)は研修センターでの日々を振り返る。

 現在の大阪市浪速区の出身。復員して国鉄の前身組織に入り、1946年、鉄道員としての心構えや基本を教える「鉄道一般」の教官として「吹田分教所」(現・研修センター)に赴任した。

 朝はラジオ体操に似た独自の体操で始まった。その後は座学。法律、数学、物理に加え、英語もあった。10代から管理職を目指すベテランまでが寮で暮らし、蒸気機関車(SL)の機関士や列車の運転士も半年間住み込んで学んだ。

 自宅には、毎晩のように多くの生徒たちが入れ替わりで訪ねてきた。ふすまを閉め、一対一で教えた。日曜には生徒や家族30人ほどで山へハイキング。公私を分けない付き合いだった。

 校内の運動会では科や寮対抗で競い合い、文化祭は歌や楽器の演奏、仮装大会で盛り上げた。生徒会による盆踊り大会には社員の家族も訪れ、西日本各地から集まっている生徒が地元の踊りを披露して「お国自慢」をした。「泥臭いが、こういう一致団結が仕事に生きていた」。教え子との交流は退職後も続き、年賀状は多い時で500枚を数えた。

 「わずか半年の入寮だったけど、妙な力があるものでね」。小沢吉雄さん(89)=神戸市西区=は52年11月から入校し、電車の運転を学んだ。SLが主流の時代。校内に電車の模型はなく、車両基地で実地研修を受けた。目測でスピードを調整し、手で窓の雨を拭いたのも思い出話だ。

 約20人の同級生には義務教育を卒業したばかりの人もいた。英語の授業ではローマ字から習い、夜になると高校を出た仲間を囲んで教わった。

 東海道新幹線の開通や、誕生50年を迎えた「新快速」の開発にも関わった。同級生もそれぞれのキャリアを歩み、時には上司や部下の関係にもなった。だが職場を離れれば上下はない。「会うと初心に帰れる関係。若いときの純真な気持ちを思い出せるんです」

 ♪我等(われら)ぞ大家族二十万人 奮へ我等

 北原白秋が作詞した「社歌」を体現するかのように、国鉄は一丸となって戦後日本を支えた。一方で、赤字が深刻化しても業務改善やサービス向上に取り組まない姿勢は、「親方日の丸」と批判された。

お辞儀からやり直し、上場 だが「利益重視」の先に……

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