昨年10月の台風19号で被災した阿武隈急行(本社・福島県伊達市)が31日、全線で運転を再開した。宮城、福島県境をまたぐ丸森―富野間(15キロ)が不通になっていたが、復旧工事が進み、全線55キロがつながった。

 秋晴れの空の下、午前10時40分すぎ、丸森町の丸森駅を上りの初列車が出発した。出発前には駅舎やホームで記念のセレモニーが開かれ、地元の和太鼓団体が演奏を披露。多くの住民や鉄道ファンが駆けつけて、再開を祝福した。

 丸森町から福島の大学に通う佐藤円さん(21)は、台風後は遠回りで2時間かかっていた。再開後もしばらくは本数が少なく、午前中の授業には間に合わないが、「動いていないのは寂しかったので、動くだけでもうれしい」と喜ぶ。

 台風19号では土砂崩れやホームの損壊が発生し、阿武急の被害額は約11億3千万円。昨年10月下旬に福島側、同12月に宮城側の大半で運転を再開していた。阿武急は来年春のダイヤ改定で本数増加をめざす。(徳島慎也、伊藤政明)

新人運転士の1年

 加藤礼也さん(22)もこの日、全線再開の喜びをかみしめて運転席に座った。昨年の台風19号で福島県の自宅が全壊。それでも奮起し、幼い頃からの夢だった運転士になった。

 乗務したのは夕方、福島県梁川駅発の下り列車。車内はほぼ満席で、乗客らは車窓から見える景色の写真などを撮っていた。

 「見たことない人数だ」。運転席のドアには子どもがへばりつく。少し緊張しながら、ぐっと左手で速度調節のレバーを握る。ドアはしまっているか、定刻通りか。一つずつ指をさして「よしっ」と確認し、駅を出発する。

 加藤さんは生まれも育ちも福島県伊達市梁川町。よく最寄りの梁川駅から阿武急に乗った。降り際に電車に向かって手を振ると、運転士が警笛を鳴らして返してくれたことがあった。いつしか目標の仕事になっていた。

 高校卒業後の2017年に入社。車掌業務を経て昨年夏から、運転士の国家試験に向けた勉強を始めた。直後の10月、台風19号が町を襲った。

 伊達市は阿武隈川の支流が氾濫(はんらん)した。川沿いにあった自宅も3メートル以上浸水し、2階まで泥でぐちゃぐちゃに。11月に出社して初めて、ホームに土砂がなだれ込んだあぶくま駅の惨状を知った。ローカル線の厳しい現実から、「もう走れないんじゃないか」との思いがよぎった。

 だが、阿武急の先輩はあきらめなかった。上司は1カ月先に迫っていた運転免許試験を1カ月ほど延期してもらうよう、役所に掛け合ってくれた。復旧に向け、作業員が連日現場に入った。鉄道ファンから「また乗りに行きます」と激励の連絡がやまなかったことも聞かされた。

 「ここでくじけちゃだめだ」。しばらくは家から水につかった畳などを運び出す作業に追われた。くたくたになるが、目をこすりながら布団の中で学科試験の教本を読み込んだ。

 今年2月下旬、一人前の運転士になった。地元紙に取り上げられ、乗客から「新聞みたよ」と何度も声をかけられた。そして迎えた全線再開の日。

 式典の映像やSNSでの乗客の投稿を見て、「こんなに待っててくれた人がいたんだ」と実感した。電車は不通だった山間部を通ったが、目についたのは崩れた山肌や工事車両だ。「まだまだなところはある。愛される運転士になって、地元に貢献したい」。そう力を込めた。(大宮慎次朗)

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