「最初はおじゃまむし」 誕生50年の新快速を振り返る

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神山純一
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 10月1日に運行50年の節目を迎えるJR西日本の新快速。最高速度が130キロ、1本の列車が最も長く走る距離が275・5キロで、ともに特急を除く在来線で日本一の関西の看板列車だが、当初は住民に歓迎される存在ではなかったという。「関西新快速物語」などの著作がある大阪府柏原市の鉄道作家、寺本光照氏(70)に新快速の誕生からこれまでを振り返ってもらった。

 ――1970年の運行開始当初、新快速は世間からあまり歓迎されていなかったそうですね。

 「初代の113系は、元々は首都圏の横須賀線を走っていた『万博号』の車両をそのまま使っていただけで特段、スピード列車という印象もありません。日中1時間に1本だけの運行で、大阪―三ノ宮間での快速との所要時間の差も小さく、鉄道雑誌の中には不要論を唱えていたところもあったぐらいです」

 「私自身も当時、むしろ『おじゃまむし』だと思っていました。新快速を追い抜かせるため、普通電車が途中の駅で停車待ちするようになったんですよね。私は甲南大学神戸市)の2回生でしたが、大学最寄りの摂津本山駅の普通電車のダイヤも15分間隔から5~25分間隔と不規則になった。メモ帳に書いた出発時刻を確認して駅に向かうのが日課になりました」

 ――「新快速」という名前の由来は

 「当初は『特別快速』が検討されたものの、東京の中央線と同じ名前では新しいイメージに欠けると判断されたようです。新快速の名前がついたのは直前の9月で、10月号の時刻表にはまだ『特快』と書かれていました。原稿の締め切りに間に合わなかったのでしょうね」

 ――新快速も、その後は車両や設備が改善されていきますね

 「2代目の153系(72年…

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