小田原市内にはかつて、路面電車が走っていた。1956年に廃止されると、車両の一部は長崎市の長崎電気軌道に譲渡されて活躍。2019年に最後の1両が廃車になった。「チンチン電車を64年ぶりに帰郷させたい」。この1両を小田原市内に運んで保存しようと、有志が資金を集めるクラウドファンディングを始めた。

 箱根登山鉄道の前身の小田原馬車鉄道が、小田原と湯本などを結ぶ馬車鉄道として1888年に開業。1900年に日本で4番目の電気鉄道(路面電車)となった。「市内電車」「小田電」などと呼ばれて親しまれたという。

 だが自動車の交通量が増えたため、最後に残った小田原~箱根板橋間(2・4キロ)が56年に廃止され、車両5両が長崎電気軌道に譲渡された。

 「里帰り」を目指すのはこのうちの1両だ。山吹色とライトブルーのツートンカラーは、小田原走行時の塗装を踏襲したもの。小田原市内線で「モハ202号」として運行され、57年からは長崎電気軌道151号として活躍した。近年は滑り止めの砂をまく専用車両として使われていたが、2019年3月に廃車となったという。

 廃車となったことを知った「小田原鉄道歴史研究会」の小室刀時朗(としろう)さん(64)らが、電車の里帰りを発案。長崎電気軌道に連絡し、今年3月に「譲渡可能」との返事を得た。

 まちづくりに関わる人々など10人が集まって「小田原ゆかりの路面電車保存会」を結成。来年2月に小田原市南町に開設される、観光・街づくり拠点で保存することも決まった。拠点はかつて電車が走っていた国道1号に面しており、小室さんは「まさに里帰りにふさわしい」と喜ぶ。

 課題は費用だ。車両の輸送費などで約1千万円が必要となるため、インターネットを利用したクラウドファンディングで資金を募ることを決めた。

 「当時を知る人にとっては昭和のにぎわいを懐かしみ、若い世代にとっては、少し前の郷土史を知る存在になってくれたら」と小室さん。写真の展示や、憩いの場として活用するつもりだ。

 当初目標の500万円を達成し、現在は750万円を目指している。寄付は5千円からで、金額に応じて、小田原ゆかりの「寄木細工」(電車デザイン)や写真集のプレゼントがある。25日まで、https://readyfor.jp/projects/odawarachinchindensha別ウインドウで開きますで受け付ける。(神宮司実玲)