75年後、同じ道を走る「被爆電車」 当時の車掌はいま

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宮崎園子
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 75年前、広島が原爆で焼け野原となってわずか3日後の8月9日に路面電車が一部区間で運行を再開し、街の復興に貢献した。75年後、原爆に耐えた「被爆電車」が同じ区間を走った。

 原爆で大破しながら修復して現役復帰した広島電鉄の「被爆電車」653号。2006年に現役を引退したが、中国放送(RCC)との共同企画で15年から夏季のみ特別運行している。

 9日、広島市中区の広電本社に隣接する千田車庫を出発し、広電西広島―広島駅を1時間余りかけて走った。このうち広電西広島―天満町の約1・5キロは、被爆3日後に「一番電車」が走ったのと同じ区間だ。

 広電の社史によると、原爆で従業員1241人中185人が死亡し、車両123両中108両が被災した。そんな中での運行再開は、街を勇気づけた。

 例年の特別運行では市民が乗車するが、今年は新型コロナウイルス対策で客は乗せず、車窓の風景をオンラインで生配信した。

 この日運転した同社千田営業課指導運転士の橋本定雄さん(43)は「75年前の惨状の中、電車を走らせた先輩や沿道で見守ってくださる方々の思いを背負いながら運転しているんだなあと感じました」と話した。

「あんな状況でよく走らせたな」車掌の願い

 「一面焼け野原、でも一生懸命でした」。広島市西区の笹口里子さん(89)は、14歳の夏を思い出す。米軍による原爆投下からわずか3日後、変わり果てた広島の街で、復旧第1号の路面電車で車掌を務めた。

 原爆投下4カ月前の1945…

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