東日本大震災から14年 三陸鉄道に千羽鶴贈った少年 若き運転士に 震災の経験、未来へつなぐ

東日本大震災から14年、道内出身者も働く岩手県の三陸鉄道は津波による大きな被害を受けました。震災当時、小学生だった若き運転士の思いを取材しました。

岩手県の海岸沿いを走る三陸鉄道。40年間、変わりゆく海の町を走り続けてきました。

成瀬賢紘さん(26)。東京都出身で、4年前に三陸鉄道に入社した若き運転士です。

三陸鉄道 運転士 成瀬賢紘さん)

「今は毎日三鉄を見ることができるので、それだけで目の癒しになっていると言ったらあれですけど」

幼い頃から鉄道好きだった成瀬さん。祖父母の家が岩手県北部の久慈市にあり、夏休みなどに三陸鉄道に乗るのが一番の楽しみだったといいます。

三陸鉄道 運転士 成瀬賢紘さん)

「三色のカラーがいいです。かっこいいと思います」

しかし、14年前の東日本大震災で街の姿は一変。成瀬さんが大好きだった鉄路も、津波に流されてしまったのです。

三陸鉄道 運転士 成瀬賢紘さん)

「ショックはショックでした。もうこれで廃線になるのかなと思いました」

当時小学6年生だった成瀬さん。ニュースで鉄道の被害を知り、自分も何かできないかとその年の夏休み、自ら作った千羽鶴を持って久慈駅に行きました。

当時、その千羽鶴を受け取ったのが、現在の上司、金野淳一さん。札幌出身で運行本部長を務めています。

三陸鉄道 運行本部長 金野淳一さん)

「突然駅に、こういう人がいるよと連絡が事務所に入って、そしたら彼がいて」

三陸鉄道 運転士 成瀬賢紘さん)

「まだ全線復旧のめども立っていなかったので千羽鶴を折っていって渡して1日でも早く全線復旧してほしいという思いを伝えました」

駅の事務所に今も大切に保管されている千羽鶴。この日をきっかけに成瀬さんの心は鉄道好きから三鉄好きに変わっていきます。

三陸鉄道 運行本部長 金野淳一さん)

「そのときまさか来るとは思っていなかったんですけど、それがきっかけで時々会社に遊びに来たり、事務所にも入ってくるようになったしね」

千羽鶴を受け取った当時、運行部門のトップとして、鉄道の復旧に全力を注いでいた金野さん。

三陸鉄道 運行本部長 金野淳一さん)

「列車を動かすためにどうしたらいいかということで、忙殺されていた」

地元だけでなく全国からの応援の声を受け、三陸鉄道は震災から3年あまりを経た2014年4月、全線復旧を果たしました。

復旧の日も、列車に乗るため東京から駆け付けたという成瀬さん。

大学を卒業し就職先に選んだのは、三陸鉄道の運転士でした。それから2年半、今でも「三鉄漬け」の日々を送っています。

三陸鉄道 運行本部長 金野淳一さん)

「休みの日に出かけてるというから『どこにいる?』って聞いたら『どっかの駅にきょうはなんとか臨時列車が走るから』ってそればっかり」

三陸鉄道 運転士 成瀬賢紘さん)

「いまは三鉄だけで忙しいです。他に手を出す時間はないです」

現在、三陸鉄道の運転士の3割以上は20代。金野さんは記憶を風化させないよう、震災学習のツアーや訓練を通して、震災の経験を若い世代に伝えていきたいと話します。

三陸鉄道 運行本部長 金野淳一さん)

「そういうことがあったんだよということは車内の訓練会とかもありますので、いざという時にどうするかを伝えていきたい」

三陸鉄道 運転士 成瀬賢紘さん)

「もし観光で訪れた方に聞かれたら、しっかり震災のことについてお話しできるようになれたら」

悲しみを乗り越え、走り続けてきた三陸鉄道。来月、41周年を迎えます。

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