第10回「国鉄魂」植え付けられた、大動脈支えた元機関士 最後迎える根室線

有料記事根室線「赤線区」ラストラン

中沢滋人
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 3月末をもって廃止になるJR北海道根室線の富良野―新得間(81.7キロ)。かつては札幌と帯広・釧路方面を結ぶ大動脈として多くの列車が行き交った。特に蒸気機関車(SL)時代は、途中の狩勝峠越えは難所として知られた。ラストランを控え、当時の運行を支えた鉄道員からは、「国鉄魂を植え付けられた線区。それだけに寂しい」と、懐かしさとともに廃止を惜しむ声があがる。

 新得町に住む大崎和男さん(85)は1957年に国鉄に入り、新得機関区所属の機関助士から機関士になり、この区間のSLの運転を担当した。66年に新狩勝トンネルが開通して落合―新得間が新ルートに変更になる前は、この区間は水平方向に1キロ進んで25メートル登る急勾配が延々と続くため、列車は補助機関車を増結して峠に臨んだ。急カーブも多く、動輪の空転が起きやすいため運転も難しかった。特に峠の頂上付近にある狩勝隧道(ずいどう)(トンネル)は、狭いトンネルの中も急坂がずっと続くため、排煙が乗務員たちを苦しめた。

 「熱い煙が運転室に充満し、水にぬれたタオルを口に当てていたが、熱気で締め付けられるようで、体中が痛くなった。このまま死ぬのではと思う時もあった」と振り返る。

 助士時代は、上り坂は高い蒸気圧を維持するため石炭をくべ続けなければならず、体力的にきつかった。機関士になってからは、逆に長く続く下り坂で、ブレーキを使いすぎると利かなくなる可能性があるため、技術を要する特殊なブレーキ操作をしないとならず、神経をすり減らしたという。重い貨物列車が途中で坂を上れなくなり、バックでふもとの駅に引き返したことも何度かあった。

「道東の人たちの生活支えている」自負

 ただ、当時は利用者も多く…

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