第9回途中棄権・通過待ち…箱根駅伝ランナーの「鬼門」だった場所はいま
かつて、箱根駅伝のランナーや運営スタッフたちにとって「鬼門」があった。
1区と10区のコースとなっている第一京浜(国道15号)沿いにあった京急空港線の通称「蒲田の踏切」だ。
1区の選手はほぼ集団で通過するが、問題は順位やシード争いが佳境を迎える最終10区だ。
9区と10区の間の鶴見中継所で「繰り上げスタート」もあり、ランナーたちは約30分の間におさまるが、電車が通らないわけにはいかない。
転倒した選手も
2002年の第78回大会。大東文化大の選手の前に、遮断機が立ちはだかった。周囲を走り回りながら、電車の通過を待った。
待ち時間はロスタイムとして記録から差し引かれるルールだが、前方の選手はいなくなってしまったという。
08年の第84回大会では、東海大の荒川丈弘選手が踏切で足をとられて転倒した。
10区を任されることを知ったのは往路が終わった後のミーティング。下見をしようと思っていたが、渋滞のために途中で引き返していたという。
懸命に走ったが、残り2キロ地点で棄権した。「痛いな、捻挫をするような穴があったのかなという感じだった」と振り返る。
「蒲田の踏切」が注目されるようになったのは、93年のダイヤ改正からだ。
それまで京急蒲田駅と羽田駅(現在の天空橋駅)の間の折り返し運転(3・1キロ)だったが、品川駅への直通運転が始まったのだ。ダイヤ編成が複雑化した。
■京急の職員も細心の注意…