ダイヤ改正前後で並べて眺める(そして愛でる)
このテーマでは、ブログ筆者の琴線に引っかかった印象的なダイヤ改正について、当時の時刻表紙面の「改正前号」と「改正号」を両方引用し、シンプルに並べて、眺めてみる、というもの。あわせて当時の各線でのダイヤ改正された背景もコメントしましたので、当時を知らない方の一助になれば幸いです。
今回は1984年2月1日に行われたダイヤ改正時の夜の鹿児島本線下りを取り上げます。
1984年2月1日ダイヤ改正の意義とは?
この改正の印象を先達の皆様に伺っても良い感想は得られないでしょう。国鉄末期の全国規模の徹底的な効率化を象徴した動きで、利用率の低い列車の運転取りやめを行う一方で、全国の中規模都市圏でのフリークエントサービス、俗にいう国電型ダイヤを積極的に導入し、輸送需要の変化に柔軟に対応できるようダイヤ・サービスをレベルアップさせています。
今回取り上げた九州北部の鹿児島本線に関連すれば、関西〜九州間の寝台特急列車や昼行の特急有明号が主たる削減対象で、また、普通列車の夜行列車として有名だったながさき号もこの改正で消滅しています。
この当時の国鉄の財政状況は逼迫し、分割民営化のシナリオが水面下で検討されていた時代。ブログ筆者は小学生低学年で鉄道が徐々に主たる趣味対象となっていく時代でしたが、国鉄のおかれた状況を知るよしもなく、親戚が箱崎駅近くにおり、夜に自宅に帰る際にみかけたED76牽引の多数の貨物、夜行列車の往来を見ていたと思います。そんなことを妄想しながら当時の時刻表を眺めて愛でてみます。
眺めてみてコメント(ブログ筆者より)
・この紙面内で一番注目したいのは、普通列車の夜行列車ながさき号(1421レ)です。改正前紙面をご覧いただくと、門司港22:40で終着長崎に6:40、佐世保は4:48という超鈍行で運行されていた客車列車。三段式B寝台車が長崎行きに1両連結と明記されているほかは、すべて自由席という、今では考えられない自由な雰囲気を醸し出します。その上、長崎行きは肥前山口から南下するのではなく、早岐で佐世保行と分割されて大村線を経由する、ぐっと来るコースでした。
・定期の特急有明号の博多発最終列車ですが、改正前は33号でしたが、改正後は29号と変わっていることからも減便の様子が伝わります。編成両数は改正前後とも7両でしたが、時刻表紙面から分かる通り、改正前後で1両指定席が自由席に変更されています。
・にちりん32号は、始発駅が改正前の西鹿児島から、改正後は大分に変更されております。これに関連して、小倉行にちりん34号の始発が宮崎発から西鹿児島発に変更することで、西鹿児島〜宮崎間で小倉行最終時刻が繰り下げが実現しています。
・以降、臨時列車について備忘録。改正前にあるかもめ53号(9037M)は鳥栖を通過するという今では見られないダイヤ。夜行特急有明号も先達の皆様にとっては語り草となる列車でしょうか。改正前の有明51号(8043M)は電車ながら、改正後の有明55号(9041レ)は連休前1日のみの運転で小倉発の客車による運行。おそらく14系特急型客車が充当されていたのだろうと想像します。最後に改正前のかいもん51号(9103レ)、門司港駅の線路容量の影響なのか、小倉始発で設定された臨時夜行急行列車。オール寝台車であることを誇らしげに白抜きの寝台列車マークが記載されている点がぐっときます。
・普通列車では、改正前1371M(博多発22:55佐賀行)は利用率が低かったためか廃止されています。一方、改正前1367M(博多発21:32肥前山口)は終着駅が早岐に延長されたのはその時間帯の長崎本線の運転系統を整理した結果でした。
・最後に、趣味的にコメントしたいのは、門司港発博多行の最終普通列車(1193M)。今の時代ならホームライナーとして運行したくなりそうな速達ダイヤ。北九州エリアでこまめに停車したあとは一気に香椎まで通過するのは見ていて爽快ですが、呑んだ帰りで居眠りでもしたら大変なことなった列車だったと想像します。
ダイヤ改正前 1983年12月/1月合併号
ここで触れるのは、黒崎から南下する筑豊本線に乗り入れるディーゼル列車について。この紙面内には小倉発飯塚行快速列車(3869D)、小倉発直方行普通列車(2873D)、日田発小倉経由直方行き快速日田号(3746D)です。
充当されている車両として、明確なのは快速日田号でキハ66・67形の2〜4両でした。それ以外は、様々な車両が出入りしていたことは経験的に理解しており、特定できないまでも、キハ58系とキハ47系との混合編成だったり、たまにキハ35系、45系も朝夕のラッシュ時には繋がれていたことを記憶しています。
その気動車の配色についても、当時はまだ九州色(クリームをベースに、青の帯が入る)が登場する前、急行形気動車色のキハ28、58、65、66,67に、いわゆる「首都圏色」のキハ23、35、40、45、47が、文字通り混合で運用についていました。
交通公社の時刻表1983年12月〜1984年合併号より引用
ダイヤ改正後 1984年1月/2月合併号
ここでは、西鹿児島行きの2本の夜行列車について触れておきます。定期急行かいもん号(101レ)は12系座席車4〜5両+20系B寝台車2両に加え、荷物車が連結された8〜9両といった編成でした。ちなみにこのダイヤ改正をもって郵便取扱便を廃止しているのため、従来連結されていた郵便車が除外されているようです。細かい違いではありますが、歴史を語るときには大切な出来事になります。
そして臨時列車である有明55号(9041レ)は14系特急用座席車の充当だったようで、編成両数は定かではありませんが、先達の方が撮影された「夜行有明号」を見る限り、6〜7両と、電車の有明号と同じ両数だったのではと推察します。
両列車とも、牽引はED76形交流機関車でした。いまとなれば見ることができなくなったことを、このブログをまとめながら実感し、少し寂しくなりました。
交通公社の時刻表1984年1月〜2月合併号より引用
本日は以上です。
参考資料:交通公社の時刻表1983年12月〜1984年1月合併号、1984年1月〜2月合併号、列車名変遷大事典/三宅俊彦著/ネコパブリッシング、鉄道ジャーナル1982年2月号、国鉄の車両18「九州各線」/関崇博ほか/保育社、国鉄の基礎知識/所澤秀樹著/創元社
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