遠くなる昭和、そして小窓の勇姿。西武鉄道新2000系2051F運用離脱【前】 | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

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『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。
その時限りも大事だけど、できる限り日常を大事に。

JR東日本からE217系が走り去った昨日、同じタイミングで。

西武鉄道でとりわけその行方を気にして記録を重ねてきた2000系のうち、新2000系でもごく初期の

前面貫通扉が「小窓」だった編成で、最後の6両編成だった2051Fが遂に運用を離脱。

横瀬に向けて廃車回送されたことを、Xで知ることとなった。

 

ここ1年弱、比較的捉えにくかった4両編成の2507F、2両編成2451F(昨年秋に近江鉄道に譲渡)と

共に記録ペースを積み上げてきていたが、とりわけこの2051Fは国分寺線ではハイペースで記録。

さまざまな場面と共に記録にも記憶に残る、近年では屈指の個性派編成として意識が強かった。


37年もの間、パンタグラフの交換以外で大きな手が加えられなかったのもまた魅力ではあったが…

整備を尽くしながら大きなトラブルもなく“車生”を全うしきった…と言っても良いだろう。

そう言い切れるくらい、最後の最後まで西武鉄道で命を燃やし尽くした功労車であった。


5月17日土曜日、国分寺駅にて


8000系の試運転には出会えなかったが、2051Fには国分寺線では出会えていた。

それが、つい数日前までは普通だったのである。


しかし、その動きが全くイレギュラーだった日があった。

8000系の初ツアーがあった5月25日のことである。

この日の記録スタートは、新所沢駅であった。

しかし着いてみると、撮影者の多くは下りホームで西武新宿方に向いていたのである。

その中にちょうど旧知の方がおり、聞いてみると


2051Fが快速急行で来ますよ


と!!

8000系の記録もそこそこに末席に加わり、9:34頃。

定刻から2分ほど遅れていたために8000系との並びは叶わなかったが…


一般車両最上等運用の西武新宿線快速急行で、堂々走ってくる姿を捉えられたのは収穫だったが…

勘の鋭い、歴戦の西武電車ファンなら気がついたと思う。


2051F、もう先が長くないなということに。


しかも、そう感じた根拠がもうひとつあって…

快速急行運用の後は、そのまま急行・準急メインの優等運用に入っていったのだが。

13:57。

一時業務離脱後、拝島線に移動。

すっかり潮の引いたように撮影する人もいなかった東大和市駅で、2051Fを迎撃。


ここで初めて気づいたのが、西武新宿方に連結されていたのが2507F!

遂に最後となった小窓編成だが、昨年夏に方向幕がフルカラーLEDに交換されてしまった。

そのため、なんとなく写欲が削がれたままになっていたのは惜しまれるが…

2051Fと手を組んでいるとなれば、四の五の言っていられない。


そして、さらに確信を深めていく。


2051F、やっぱりもう先が長くないなということに。


ちょっと前なら日常的にあった、先頭車小窓同士の連結。


既に日常となくなってとうに久しかったが、久々に見れた嬉しさと、先を憂いた複雑さと。


37年目の夏を前に、複雑な感情を抱きながら記録を重ねていった。


急行と掲げた最後の輝き。

それを存分に。


一度、西武立川で見送り…


再び出迎える。

せっかくの2507Fだが、やはりLEDとの相性は微妙。


やはり幕が、この黄色い車体にはしっくりくる。


昼食補給もあり、あまり深追いすることなく…


上石神井で降りた。


西武新宿まで行っても、折り返し時間は短い。

記録できる場所も限られてしまう。

天気も微妙で、ならばとここで見切りをつけ…


やっぱり、困った時の花小金井。

結果的に、ここで2051Fを記録した最後に。


そして小平まで乗り、そのまま多摩湖線経由で帰宅した。

これをもって、新宿線における記録は終了となっている。


そして…別れの月、6月。

範囲こそ狭まるが、いつものホームグラウンドで最後の華やぎを魅せてくれた。