函館本線で貨物列車を牽くDD51。

私とDD51の出会いは小名木川貨物線。その時は貨物列車を牽いていたので、幼心に「DD51は貨物専用機なんだ」とプログラミングされました。だから、客車列車を牽く姿を(媒体で)見た時にはブッ飛びました。あくまで「子供の頃の話」ですから。でも、首都圏のDD51は佐倉機関区配置機であろうが高崎第一機関区配置機であろうが、一瞬のイレギュラーはあるにせよ、基本的には貨物列車を牽くのが日課でしたよね。佐倉と高崎第一だったら、客レを牽く機会が多かったのは佐倉かな? 高崎第一の場合は、八高線での運用がメインだったけど、八高線で客レが運行されなければその機会は無いに等しいですからね。ただ、これもイレギュラーですけど、八高線以外で(両毛線や吾妻線、そして高崎線など)で臨時列車を牽引する機会もあったようで、その時は高崎第一のDD51が客レを牽引するシーンを見られたということになります。そういえば、私もDD51牽引の客レに乗ったこと、あったっけ。

 

DD51は昭和37年から53年にかけて649両が製造されましたが、残念ながら総数的にはDE10(708両)に次いで2位になります。これも子供の頃に知って、DE10があまり好きでなかった私はかなり悔しい思いをした記憶があります。

649両製造されたDD51は運用される地域や用途によってバリエーションが豊かになり、それは番号で識別することが出来ます。

1~4号機は試作車(量産試作車)で、5号機以降が量産車(0番代)となります。SGを備えて客車列車の先頭に立ちましたが、貨物列車も牽引することが出来ます。

量産が続けられた0番代は非重連タイプで、それまで蒸気機関車が重連で運用していたエリアに置き換え目的で投入されたグループは重連総括制御可能な構造とし、500番代と区別されました。この500番代が一番ポピュラーで、途中の593からは完全な重連仕様タイプで製造されました。そして、500番代の中で貨物列車牽引がメインで、SGを搭載しない仕様として800番台の数字が別途、設けられ、899まで行った後、一気に番号が飛んで1800番台となったのは有名な話。一方、客レ牽引がメインのグループは799までいった後、貨物用のグループが899までいったのを確認して、これも番号が飛んで1001~としました。番号こそ1000番台だけど、仕様変更ではなくて、あくまでも500番代の追番という形になります。

 

画像の1013号機は新製配置こそ北海道の五稜郭機関区でしたが、民営化後の平成11年に花の都・大本州に移ってJR貨物の東新潟機関区に異動。ここが終の棲家となって平成19年に廃車になっています。

JR貨物のDD51はついこないだ全機が鬼籍に入り、現在残存しているのはJR西日本の数両のみ。それも定期運用は持たず、工臨やイベント列車の牽引で余生を過ごしています。

 

客レも良いけど、カモレの方が “DD51らしい” と思うのは私だけでしょうか・・・。

 

 

【画像提供】

タ様

【参考文献・引用9

鉄道ファンNo.245 (交友社 刊)

鉄道ピクトリアルNo.972 (電気車研究会社 刊)