いよいよ始まった、新たな歴史。
これから先、きっとお腹いっぱいになるくらい日常として見られる姿なんだろうけども。
待ちに待った営業運転を目の当たりにすると、やはり気持ちは高まる。
時折雷鳴が轟き、強い雨が打ちつける悪天候のスタートとなったが、それも逆に後押ししていく。
こうして、5月31日午前はおよそ1年ぶりに西武国分寺線内での記録行脚が始まった。
2000系2051Fの記録巡り以来となり、少し前回の記憶が朧げになってきたところ。
東村山駅の高架化工事もいよいよ新宿線下り線が切り替え目前となり、また構内様相も変化。
その移り変わりも含めて、諸々動きを見つめていきたい。
鷹の台、恋ヶ窪と、もう40年余り慣れ親しんだ場所。
そこにやってきた白い“新車”が、新鮮な空気を運んできてくれる。
だが、そんな新鮮な空気を濁しかねない動きが、点々に見え始めていた。
そのあたりのエゴイズムは、なかなか改善の兆しが見られない。
少し縛りが緩いのを悪い意味で解釈する、相変わらずの悪癖。
実際、既にこの恋ヶ窪で一度やんわり落雷を発生させる事態になっている。
やんわり、落ち着いて諭すようにではあったが、その懸念は少しずつ当たり始めていた。
そんなことがありつつも、2000系の時の記録を思い返しながら撮り続けた。
雨は変わらず降り続け、ホームに水溜りも増え撮影コンディションは悪化の一途を辿っていく。
この後、どこからか社員が現れて、ハンドワイパーで水溜りを掻き出す場面にも遭遇した。
この発着風景が、日中だと上下それぞれ約30分に一度見られる効率の良さ。
東村山駅の高架化が終わるまでは、そのパターンが続いていく。
…と、思っていたのだが。
この後、1本2000系を見送り、今度は東村山方で…と思っていたところで、異変が起きた。
来ない。
待てど暮らせど…どうした?
数分待ってみると、小川駅付近の踏切で踏切安全確認の事案が発生。
約10分近く、一時的に運転見合わせとなった。
このため、国分寺行きも約10分近く遅延。
交換する東村山行きも結局、待ってからの発車となった。
とんだハプニングに遭遇したが、傷口はさして広がらず。
こちらも引き続き記録に動く。
今度は、東村山行きを駅側の踏切で迎撃。
ちょうど立川バスが踏切待ち停車をしており、小田急グループ同士の対面が早くも実現。
これもまた、8000系導入による不思議な巡り合わせの日常化である。
足を滑らせないように、ギリギリで乗り込み…
再び8000系とともに、記録の目を移していく。