オムライス、引退の“延長戦”。
4月19日、午前。
東武鉄道8000系8575Fは、確かに亀戸線からは去った。
去りはしたが、実際に乗る機会はまだ残っていた。
ここからおよそ1日、最後の“延長戦”が、大師線に身を移して行われていたのである。
4月20日日曜日、10:47。西新井駅。
それもあり、ファンが大師線界隈に集まってきていた。
しかし、そのアディショナルタイムが思いのほか長かったこと、何より本数が1時間あたり6往復と
多かったこと、路線ロケーションに起因する撮影ポイントの少なさもあり、人出は分散。
亀戸駅のイベントのような集中ぶりはついぞ見られることは無かったのである。
それもあり、最期まで大師線内の雰囲気は穏やかなまま推移したのである。
それは担当乗務員も気持ちが緩やかだったようで、時にファンと談笑する時間があるなど穏やか。
片道あたり5分、最高速度もせいぜい60km/hと限られた時間ではあったが…
頻発運転に助けられ、理想的な雰囲気で終了したのは幸いだった。
大師線ホームも、終始こんな感じであった。
人が増えるのは、列車が到着する直前、純粋に利用する人ばかりだったのである。
片道2分、1駅のみの小さな旅。
大師前駅も、これまでと変わらぬ威風堂々とした佇まい。
見方によっては、海外のターミナル駅のような威容を誇った大師前駅。
ここで、幾度となくドラマを紡いできた事だろう。
しかしそこからは、この4月20日をもって永遠に走り去ったのである。
そしてこの日は、思ったより天気が良くなかったことも人出が少なかったことに作用したか?
そしてそれは、自分の撮影スタンスにも微妙な影を落とし始めていた。
気まぐれなメモリの悪戯が、自分の記録ペースと気持ちを微妙に乱してしまった。
そもそも滞在時間も1時間半余りと短いところに、そのアクシデントは痛いところだった。
その辺、寺社仏閣があるエリアはなかなかに相性が良くない。
それは、自分特有の気難しいところで一生付き纏うものがあるのは吐露しておく。
これもあり、その記録は中途半端に終わることとなった。
実際には、昼の西新井→北春日部間の定期回送も草加で撮影を試みたが…
一時的なメモリ不足によるシャッター不良に遭い、記録に残ることも無かったのである。
…そして昨日。
渡瀬北の解体場で、着々と解体準備が進む8575Fを佐野線車内から見た。
既に前照灯は外され、車内部品も取り外しが進んでいたようだった。
これが、自分にとって最期の8575Fとのお別れとなったのである。
同時に回送された8576Fは既に作業場に取り込まれ解体が進んでいたようで、この分では8575Fも
来週早々までにはその姿を永遠に消すことになってしまいそうである。
構内には、9000系9101Fと100系101Fの両先頭車が未だに保留中。
これまで300系のクハ301-1など、何かにつけて保存が模索されていたのであろう歴戦の名車たちが
最終的に解体の憂き目に遭ってきただけに、安閑としてはいられないが…
どうにか活用されることはあるか、と少しの期待を込めて別れを告げた。
そしてこの別れ以降、さらに8000系列の記録範囲を広げ、深めることに舵を切っていくのである。