大井川鉄道SL乗車期の続きです。
れっしゃはゆっくりと新金谷を出発。他の鉄道会社のSLと比較すると、やや速いスピードで進んでいきます。
本来この列車は執着の家山まで停車駅はないのですが、運転士の養成訓練のために各駅に運転停車するとのこと。まあ、こういうのって自社でやんないと無理でしょうからねぇ・・。
ただ、ダイヤに余裕がある為、遅れるなんてことはなかったです。(そもそも、終着まで1本も列車とすれ違っていません笑)
今の列車はほとんど窓が開けられませんので、せっかくの機会に開けてみます。私の子供のころは、キハ58とか残っていたので開けた記憶はあるのですが・・・下手したらそれ以来かも?
なお、トンネルに入ると煤煙に巻かれるので速やかに閉めました。(笑)
そうそう、テーブルの下には栓抜きがついています。ですが、経年劣化か場所によってなかったりとマチマチ。
この客車の落成当時はペットボトルなんてシロモノはなく、瓶入りが主流でしたので、当時はマストアイテムだったのでしょう。
明かりはなぜかおうちの蛍光灯。デフォルトでこれだったのでしょうか?
沿線の景色の印象は・・・どこにでも茶畑あるなって感じです。
茶畑って、山の壁面に沿ってあるイメージだったのですが、普通に住宅街の中の平面にあるんですね・・・。さすがお茶王国・静岡です。
奥に行くにつれ、茶畑は大規模になっていきます。煎ってはないので、さすがに香りはしませんが。
もちろん、会社名にもなっている大井川も見ることができます。場所によってだいぶ水量が変わりますね。
駅周辺は小さな集落といったところが多く、日に数えるほどしか普通列車が来ないのも納得。日常遣いは、ごくわずかなんでしょうねぇ。
折り返し地点の家山駅に到着。こちらも古くからの木造駅舎です。完全に時が止まっています。
家山駅には転車台が無いので、SLはバック運転で新金谷まで向かうことになります。ちょっと滑稽です。
引き込み線と本線を往復し、機回しを行っていました。
そうそう、家山駅構内にはパーシーがいました。現在不通区間となっている千頭駅にいたパーシーをこっちまで持ってきたとのこと。ですが、私が訪れた当時は顔面が塞がれていて「お前、どしたんや・・・」と思わず声を上げてしまいそうな状態で置かれていました。
山田邦子が若い!(笑)
そして、消費税って申告しなきゃいけなかったのですね・・・。てかこれいつのやつ?
新金谷に到着すると、SLは午後の運用に備えて転車台で方向転換をするようです。切り離しが行われ、車庫へと消えていきました。
なお、駅前のミュージアムには「いずも」という機関車がいまして、なんと出元は我が島根県の一畑!
現在の名前は「一畑電車」ですが、開業時は「軽便鉄道」と称していましたので、その時代のもの。1927年に電化されましたので、それまでは機関車牽引の客車列車だったんですね。
さてさて、そんな一畑電車のある島根に今から帰らねばなりません。
平日昼間の閑散とした金谷駅から電車に乗り、まずは静岡へと向かいます。