世間はもうGW後半真っ只中。
自分は今期は思いのほか仕事が多く、また疲労や怪我もあったり試行錯誤で予定を策定。
被りも生まれて行きたい場所に行けないこともあり、なかなかにジレンマがある。
ただそれもこれも、各方面に充実していると前向きに考えるしかないけどね。
でも新たな分野開拓も進み、アラフィフもなかなか悪くないのである。
行程的にはシンプルだったかもしれない。
それでも、いろんな意味で濃い一日だった。
あの極寒の長野の夜から2ヶ月半。
はや今日の気温は夏手前。
この日、長野駅で見たしなの鉄道115系と、この飯山線からのキハ110系が一番冬らしい冬。
長野駅では、雪はチラつく程度だったのだが…
東北より、上信越の冬の厳しさが一段と極まれた旅になったのだった。
そう言えば、15年前に大雪で半日抑止されたのも信越本線内だったんだよな。
それでも、こうして雪にも負けず走り抜いてきたのは実に頼もしかった。
ただ、さすがに戸狩野沢温泉〜越後川口間は2月18・19日は終日運休だったらしいが。
…さて、20:12。
今回の大波乱の新幹線抑止→遅延を乗り越えて、わざわざ遠路遥々長野へやってきた理由は。
長駆、住み慣れた横須賀線を離れ、武蔵野線、南武線、中央本線、そして篠ノ井線を走り抜けて。
EF64 1030[長岡]のエスコートを受け、E217系Y-37編成の廃車回送が定刻で入線!
変わらぬ力強い走りで、およそ8時間に迫る片道旅を終えた。
現時点というか、これまでを通して長野でE217系の廃車回送を出迎えるのは最後となろう。
中央本線経由で小淵沢よりさらに長野方というのも、可能ではあったかもしれない。
しかし、この頃には既に深追いする意欲はとうに減退してきていた。
今回は新幹線も使える機動力のキュンパスがあったからこそ、ここまで追う気になれた。
それも東北新幹線の遅れが更に悪化していたら、それを成すことすらできなかった。
そして4月の2回の廃車回送をもって、基本11両編成の廃車が完了した。
最後に輸送されたのは、4月16日のY-35編成、23日のY-42編成であった。
こうして、E217系基本編成最初で最後の、長野駅での撮影は…
たかだか、1分と少しで終わりを迎えることとなった。
このエンディングの素早さは、遅延に翻弄された身としてはいささか無情であった。
そしてすぐに身を翻し、
帰京へ!
今度は指定券をすぐに押さえ「かがやき516号」で大宮まで。
結局東北新幹線由来の遅延は、この日は収まることがなかった。
一時は通過のはずの熊谷で抑止されたり、大宮構内の開通待ちで最大30分待ちの予測も出されたが…
8分遅延で妥結!
埼京線経由で速やかに帰宅、長い長い旅を終えた。
…ちなみに、この翌日、2月20日。
JR東海からドクターイエローの“所属”が消えた日。
南武支線では、205系W4編成が元気に走り回っていた。
もしかすると、JR東日本最後の205系はこの編成になるのかもしれない。
103系は仙石線が最後だったが、101系は南武支線だったから再び歴史は繰り返すのだろうか?
まずはここから約1年、引き続き名残の走りを見つめておきたい。