昨今、大井川鐵道に譲渡された元西武の電気機関車がEF65風に塗りたくられて話題になっていますが、画像はれっきとした “モノホン” です。
大井川鐵道も貴重なSLをトーマス風に魔改造したり、一体、何を考えているのやら・・・。まぁ、そっちに行く用事が無いから撮ったり乗ったりすることはないと思うけど、もし目の前に現れたら「撮らない」なんて言ってられないので、多分撮るんでしょうね。
EF65Pが牽引しているということは、昭和53年以前の撮影になりますが、その頃の「富士」といえばやはり、「日本一の長距離列車」という称号。これをバックボーンに1日以上かけて東京と鹿児島を結んでいました。
説明するまでもなく画像は上り列車で、終点東京まであと10km少々。ラストスパートをかけているところですね。すれ違って横浜方面に向かっているのが東海道線と線路を共用していた横須賀線です。
西鹿児島 発 9:41
鹿児島 発 9:48
隼人 発 10:21
霧島神宮 発 10:49
都城 発 11:27
宮崎 発 12:36
日向市 発 13:39
延岡 発 14:03
佐伯 発 15:07
大分 発 16:27
別府 発 16:40
中津 発 17:48
小倉 発 18:36
門司 発 18:48
下関 発 19:00
宇部 発 19:37
防府 発 20:13
柳井 発 21:05
広島 発 22:12
福山 発 23:42
岡山 発 0:29
名古屋 発 5:13
浜松 発 6:33
熱海 発 8:38
横浜 発 9:42
東京 着 10:10
これは昭和53年8月現在の上り「富士」の時刻表になります。
当時の「富士」は24時間26分が公式の運転時間でしたが、時刻表を見ると上りは24時間29分になっていますね。 宮崎-西鹿児島間が非電化だったため、どうしても時間短縮がムズかったようですが、上りと下りの3分のラグって何だろう?
牽引機関車は西鹿児島-宮崎間がDF50、宮崎-門司間がED76、門司-下関間がEF30もしくはEF81 300番代、そして下関-東京間がEF65 500番代でした。また、西鹿児島-大分間は6両で、大分から後ろ7両をくっつけまして食堂車も大分以北で営業しますが、もしかしたらその3分のラグって大分における基本編成と付属編成の併合作業が影響しているのでしょうか?
前述のように、「富士」は13両編成で、1~6号車が終点の西鹿児島まで行く基本編成、7~13号車が大分で切り離される付属編成になりますが、下りの場合は大分で切り離してそのまま宮崎や西鹿児島へ向かえば良い話なんですが、上りはそうはいきません。電車だったらそのままくっつければ済みますが、客車の併合作業は煩わしさを伴います。
この辺が私はチンプンカンプンなんですが、私の予想は・・・
① 西鹿児島からの基本編成が先にとうちゃこする。
②牽引した電気機関車を一旦、切り離して構内の留置線まで引き上げて待機する。
③ 車両基地から出てきた付属編成が入れ換え用の機関車に推される推進で出区して
基本編成と “合体”(その前に別府寄りの留置線で待機しているかもね)。
④ 待機していた電気機関車が動き出し、付属編成の先頭にくっつく。
⑤ しゅっぱつぅ~!(TARAKO風に)
こんな感じかな?
14系客車ならそれほどの面倒臭さが無いですが、24系25形だと電源車の位置など、やたら問題事が多いので、このやり方が一番時間的には短いのかな? それでも3分で作業は完了するのでしょうか?
誰か正解を教えてください。
私がブルートレインの存在を知ったのはこの「富士」からで、TBSがブルートレインを取り上げた番組を放送したんですね(動画サイトでうPされていたので、探して観てみて下さい)。もう、子供心にブッ飛びましたよ。「世の中にこんなかっくいい列車があったんだ・・・」的な感じで。東西線も総武線の「きいろいでんしゃ」も何処かに行ってしまいました。
以来、「富士」がブルートレインの中でダントツの一推し列車になるんですが、そんな私の「富士熱」は、まず運転区間が宮崎まで短縮された昭和55年10月改正で少し冷めます。次は東京-下関間の牽引機関車がEF66に交替して尚且つヘッドマークが “丸富士” から “山富士” に変更された昭和60年3月改正。私的に格好悪くなって見えてしまい、「富士熱」は完全に冷めました。それでも18年前の九州旅行で帰路に「富士」を選びまして、夢だったA個室寝台に乗ることも出来て、何駄感駄言いながら感慨深いものがありました。
そういえば、その17年前の記事でも書き込んだんですが、その時のスジが昭和53年当時の「富士」のスジに似ているというか、少しだけ拮抗しているんですね。
参考までに・・・
【2007年5月現在】
鹿児島中央 発「きりしま6号」 10:46
宮 崎 発「にちりん16号」 13:03
大 分 発「富士」 16:43
東 京 着 9:58
乗車当初はそういう思いを馳せながら乗ってはいないものの(後になって気づいたから)、1595.9km、24時間26分を列車や車両は違えど、時空を越えて体感出来たのはホントに良かったなとあらためて思いますね。
そういえば、晩年の「富士」は門司-東京間で「はやぶさ」と混結で走っていましたが、上り列車はどうやってくっつけてたんだろう? 何か一旦、列車が門司港寄りに引き上げて、「はやぶさ」が到着した後、推進でくっつけたような記憶があるんだけど・・・(その後の調査で「はやぶさ」が先行とうちゃこして、一旦、編成ごと門司港寄りに引き上げた後、「富士」がとうちゃこして機関車を切り離し、引き上げていた「はやぶさ」が入線して “合体” してた模様)。
ブルートレインが時代の寵児だった頃の1枚になりますが、EF65 531号機も草葉の陰で「オレらと一緒にすんじゃねぇ~よっ!」って大井川鐵道に対して文句を言っているに違いありません。
【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
国鉄監修・交通公社の時刻表 1978年8月号 (日本交通公社 刊)