EF5866とはやたまの件(竜華の客車列車) | みぃちゃんず(鉄道部)

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ちょっと昔~現代の鉄道事情を実車や模型などを交えて。

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さて、EF5866のお話は一旦置いておくとして。

今回は竜華客貨車区の客車というか紀勢本線の客車列車のお話です。

 

「はやたま」が製品化されたら面白いなーと思ってたら製品化された良かったです。

ちょうど「サロンカーはやたま」が運行されたこともあり絶好のタイミングだったのではないかと思います。

KATOからの話題作りだったのか?元からKATOで製品化の企画が進行していたのか?は知りませんけれど。

 

はやたまと言えば普通夜行列車にしては豪華版の寝台車2両でオハネ12+オハネフ12の2両が天王寺~新宮間で連結されていました。

当時から寝台車は憧れでしたが実際に乗車することは無かったですが52㎝幅の3段B寝台車ってどんな感じだったんでしょうね。

一度は乗ってみたい車両ではありましたが子供の頃のおこずかいではちょっと無理でした。

 

末端区間の和歌山市~和歌山のDD13+オハフ33の1両編成も考慮されているのは意外というかちょっとびっくり。

たった一両の客車をDD13が牽引する姿は模型的に面白いですよね。

和歌山に常駐していたDD13がその役割を担っていました。

客車セットに機関車のナンバープレートが入っているのも面白くて、153,195の2両分が入っているとのこと。

当時は和歌山操車場で竜華のDD13が出張してて入換の傍らで、紀勢本線の和歌山市までの例の客車列車を牽いてました。

阪和線の貨物列車にぶら下ってくるのを見たことがありました。

(和歌山操車場にて)

 

はやたまの写真ではないですが、竜華区の客車列車を(和歌山線)。

オハフ33とかは初期型(戦前製)のが竜華や亀山には結構いました。

というところでオハフ33 7が今回の製品には入っていますと。

個人的にはオハフ33 333も入れてほしかったところです。

(和歌山線王寺駅)

 

オハフ33 15

この車両もオハ35系としては初期車の部類です。

これぞオハフ33という風貌です。

 

 

ナハ10やナハフ10もセットに含まれるってことですが、今回からベンチレータの別部品化がされるようです。

オハ35系に続いてのリニューアルとなる訳ですが、オハ35系同様に屋根の別売に期待しています。

ナハ10系は1~2両入れておくのがアクセントになっていいですね。

(和歌山線王寺駅)

 

これは串本駅ですね。

鮮明な写真ではないけど雰囲気で載せちゃいます。

この頃は郵便荷物車以外の客車は青が多めだったように思います。

 

あまり良くない写真ですけど、はやたまの写真がありました。

たしか串本駅だったと思います。機関車はEF58 147です。

腕前も機材もショボかったのでこんなもんでしょう(笑)

 

 

ちょっとはやたまから外れてEF58の話に戻りますが。

で、気になったのが

に載ってる客車列車の編成表なんですが。

旧客の編成はスユニ61+35系/43系となっていますが、スユニ61+マニ60のパターンが多かったように思います。

座席車は4両ぐらいだったような気がしますが・・・

なのでマニ60も編成に入れてあげてほしかったな。

それとスユニ61の代替でスユニ50も連結されていたはずなのでこちらも記載してほしかった。

 

と思って探してたら出てきたのが、紀勢本線の客車列車を後ろから撮った写真が出てきました。

当時のフィルムで鮮明ではないですが、形態からしてマニ36ですね。

(紀伊有田付近)

 

EF58+12系の編成ですが・・・・

普通列車の場合はカーブの多い紀勢本線の各駅に停まる都合上スハフかオハフが編成の真ん中に入っているのが通常だったと記憶しています。

見通しの悪い駅で戸閉めを確認するために編成真ん中の車掌室に乗務していたと思います。

(なので電車には紀勢スイッチが取り付けられました)

で、12系の編成になって急にマニ50が登場しますが、マニ50はマニ60の置き換えで登場したはずなので。

末期はスユニ50の連結も無かったと思いますのでマニ50+12系の編成だったかな。

 

12系になった後の紀勢本線の普通列車。

12系5両にマニ50、EF58です。

3両目にスハフ12が連結されています。

この編成には1000番台は入っていませんでした。

(南部駅)

 

やはり編成真ん中(後ろから3両目)にスハフ12が。

機関車はEF58 42(御坊駅)

 

臨時のきのくにで使われていた12系の編成は中間にスハフは入らない綺麗な編成でしたが、そもそも客車列車のきのくに自体が設定が少なかったので1~2回しか見なかったし写真も残っていません。

 

 

なんだか纏まりのない記事になってしまいましたので最後も残念な写真で締めたいと思います。

(普通は没の写真ですけど、当ブログでは載せてしまいます)

この時ですでに草臥れていたナハ10 100です。

天王寺~名古屋を走ったいた時代のはやたまです。

 

当時は「はやたま」だけでなく、臨時の「いそつり」や急行「きのくに」の夜行版もありました。

名古屋方面からは「紀州」の夜行もあり早朝の新宮駅は賑やかでした。

あの頃に戻れたら乗りたい撮りたい列車がたくさんあります。