昨日更新した記事の後編として、今回は宗吾工場で保存されている各車両をメインにめぐっていきたいと思います。昨日の記事をまだご覧ではない方は後でお読みいただけたら嬉しいです。
さて、前回の記事の最後ではBエリアでの撮影を終えて、最後にCエリアでの撮影となっていたかと思う。という訳で存分に保存車両を眺めていこう。
初代AE形とAE100形がこうして並んで保存されているのがエモい反面、時代を感じるのもまた事実。10年前ならギリギリAE100なんて現役だったもの。乗り納めも行ったっけな、懐かしいな。DEENさんの「君の心に帰りたい」が脳内に流れてくる。※スカイライナーCMで使われた曲
京成としては平成22年頃にスカイライナーとして活躍していた状態を復元して保存してくれていて、それは2代目スカイライナーであるAE100形にとっても名誉なことかと思うが、運番はAE51のままだった。AE51は私が知っている限りは最後まで残っていた1往復のシティライナーで、平成28年2月1日付けで廃車となったAE161号車というかAE168編成の最終運用もシティライナーであったことは間違いないので、そういう意味ではシティライナー要素も残っていたことを今回知ってちょっと感動。
在りし日のAE100形の同編成。まあこのAE168号車はもう解体されているんだけどさ。懐かしいなこれ。でもどうせだったらもう少し余裕をもってトリミングしてもろて。
この角度であのリトラクタブルライトを見るのは初めてだったな。懐かしくて、ただただ幸せな時間が流れていた。周りからしたら、特に社員の皆さんからしたら、なんかアラサーのオッサンが一人でエモい顔して突っ立っててキモかっただろうな。自分でもキモかったと思う。ツアー参加者の中で一番キモかったのが私ですね。はぁい。
スカイライナーとして復元しての保存なので、方向幕は「スカイライナー成田空港」、AIRPORT EXPRESSのロゴも蘇っている。シティライナー車両だったAE100形に関しては引退のさよなら運転時にも同様のロゴは復刻されているが、あちらはAE138編成だったのでこのAE161号車はやはり保存のためだけに復刻したということになる。嬉しいね、やはり我々世代にとってのスカイライナーはAE100形だもの。まあ空港行なのに座席の向きが逆みたいなギャグにちょっと期待してない訳でもないんだけどさ。
AE161号車は私が家族全員で唯一乗ったことがある車両で、引退前にオタクを集めてみんなで乗りに行った時も乗った車両。回数ならAE138編成の方が多いのかもわからないけれど、でも一番思い出が詰まっている車両は間違いなくこの車両。してちょうど写真に写ってる一番前の座席に小学5年生の夏に家族で乗った(まあ上野行だから逆向きだけど)。家族に関しては都合が悪いので言及しないが、しかしそんな思い出もここにいつまでも残っているのが嬉しい。
次に来た時はここの階段を上って車内にも入ることができたらそれ以上のことはない。正直当時は全車解体だと思っていたので、こうして保存の道があって本当に嬉しい。そしてそれから9年経った今、こうしてまた再会できて、あの頃に始めたこのブログにおいて、過去画ではなく令和の今になって新しく撮った写真で記事を書くことができているのが本当に感無量だと思う。
スカイライナーとしてAE100形を紹介するアレ。詳細はこちらに書いてるので皆さんも拡大してご覧くださいませ。
そうそう、このスカイライナーロゴね。懐かしいな。船橋に停まるようになってから時折2ビル→船橋で親に乗せてもらっていたのが懐かしい。あの頃から20年近くが経ち、私は未だに電車の趣味を続けているあたりそういうことだ。
後ろから1枚。これは流石に現役時代は撮ることもなかったね。そうだ、なんかあの頃に俺の個人情報を晒していた北小金の横なんとかってジロリアンは今頃どうしてるんだろう。AE100形についてもやたら何故か噛みついてきたしな(笑)、一応撮り鉄らしいけどまあゴミみたいな写真ばっか撮ってたよ。意味のない先輩だよ。こんなこと書くとまた晒されたりして(笑)。ウケる。ああ二郎ラーメン(笑)の食い過ぎでもう死んだんだっけ。まあ生きてても乞食かジプシーぐらいしか生きる道なさそうだしな。
そんな肉の塊の臭いメガネデブは置いといて、懐かしい車内を見てみよう。流石に広告の類は全て剥がされているが、それでも好きだったこの場所が残っていた。編集でだいぶ明るくしているのはさておき、本当に懐かしい。今でもあの下りが船橋を出た後の「成田までノンストップでまいります」という放送や懐かしいチャイム、LEDのちょっとそっけない案内が脳裏に浮かんでくる。走行音は…まあ駆動方式が違うとはいえ3700形もいるのでごめん。
こちらは初代AE形のAE61号車。最後まで残った編成の成田方先頭車だったっけ。残念ながら私が生まれた時点で既に引退していたので詳しいことはわからないが、20年前に見学で訪れた時にも確かに訪問していて、あの時は社員さんのご案内のもと車内にも入ったっけ。なんか結構いろいろ展示してあったんだよな。あの頃に親が撮ってくれた写真っていまどこにあるんだろう。見つけたらブログでも取り上げたいと思う。
概要です。皆さんご自身でご覧ください。皆さんご存じの通り初代AEの足回りは京成3400形に生まれ変わっているので、実は保存されてるAE61号車の足回りは厳密にはAEのものではなく、いわゆるニコイチ。確かAE61の足回りは現3443号車だった気がするが、そうなるといずれ3448編成が退役した際には是非とも本来の足回りを返してあげてほしい反面、3400形に動態保存の可能性が出てきている以上はそうならない可能性もある。6両に短縮して動態保存になったらワンチャンある?3400形は初代AEの改造という名目なので初代AEは今も走っているのがすごいというのはさておき、したら先に引退した3400形のいずれかの足回りをAEに返してあげたらよかったのに…厳密にはそれもそれでニコイチだけどさ。
どこかで3300形が台車だけ残っていると聞いたのでこれかな?と思ったけど違いました。せっかくだしこれからの京成は各車両を保存して博物館でもやればいいのにと思わないこともない。宗吾基地の拡張が向こう数年で控えているので、それに合わせて保存コーナーも拡張されたらとオタクは考えてしまう。間違っても邪魔だから解体みたいな悲しい末路だけは勘弁してほしいが、京成さんはその辺は情に厚くアツいところもあるので、そこらへんは信じている。
概要は皆さんご自身で拡大してご覧ください。
そういや青電撮ったと思ったんだけど車番しか撮ってなかったみたい。20年ぶりなのにごめんなさい。これはアレだね、また撮りに行けって神様が言ってるんだろう。今ってまた一般の見学やってるのかな。
概要です。青電と後述の赤電は3300形でリバイバルをやっていたのも懐かしいね。あの頃の私はまだ小学生か中学生だったっけか。写真ないことはないと思うんだけどな。どこかにないかな。佐倉の実家にガサ入れして探すか。
赤電の初代3000形。大手私鉄の車両としては日本初の地下鉄乗入れ車両として製造された実はすごいやつ。そりゃ保存されますわな。この方向板?は20年前は手で任意の行先に変更することができていた気がする。初代3000形は日本の鉄道史に間違いなく名を遺す名車だが、2代目3000形もあの数という意味では別なベクトルでエポックメイキングなのかもしれない。いやあれはただ単に完成度が高すぎただけだと思うけど。
3000形概要です。俺が生まれる8年も前に引退しているので、まあ私が撮っている訳もない訳でして。何なら両親まだ結婚してないし。3000形が引退した頃はバブルかそれが弾けた頃だろうか。あれから30年以上が経って未だに不景気なのは一体誰のせいなのでしょうなあ。皆目見当が付きませんなあ。
さて、一旦保存車両を一巡したので物販に向かう。その前に乗ってきた3051編成も撮影。本運転では急行灯が点灯していなかったらしいので、これはやはり参加者ならではの特権(笑)。それ言ったらまあこの角度でってのがそうなるんだけどさ。止まれの標識との組み合わせも車両基地らしくて面白い。皆さんは一時停止きっちり守ってますか?徐行ではなく一時停止ですからね。乗用車に限らず自転車もですからね。
この3051編成も隠れた主役だよなあとふと思った。船橋競馬場→宗吾→八千代台で我々が乗った上に、こうして実質的な展示車両にもなっているんだし。この日はこの後に3051編成が運用に入ったのを(少なくとも私は)見ていないけど、次にまた会う時はこういう運用ではなく日常的なものだろうと思いつつ、思い出が増えたのはいいことだと思う。
C-ATS車上装置ってここにあるんだね。普段見ることがない(でしょうね)ので新しい発見だった。
して物販は計6社が出店していた。各社を回らせていただき、それぞれ戦利品を確保。写真に関しては割愛するが以下に書いておく。
新京成電鉄:ノートとクリアファイル
関東鉄道:お守りと入場券
京成電鉄:下敷き3種
芝山鉄道:キーホルダー
北総鉄道:クリアファイル
京成トラベル:入場券
特に下敷きに関しては私が20年前に宗吾工場の見学に訪れた際にAE100形と3000形3001編成が写ったもの、2回目の訪問ではAE100形の写真が沢山載った下敷きをいただいていて、後者は私が通っていた小学校にも同様のものを配布されていたという思い出もあり、令和の今のそれも記念に欲しいなと思っての購入。
また戻ってきました。まだまだ見学終了までは時間がある。添乗員さんの声が聞こえないと困るので両耳イヤホンはできないが、片耳イヤホンで好きな曲を聴きながらAE161号車の周りをうろうろと徘徊する不審者として時間を過ごしていこうではないか。
だいぶ腐食が進んでいたんだなあと思いつつ、宗吾なら別に塩害の恐れはないのでまあいいのかね。AE100を最後にこの目で見たのは平成28年2月28日のラストラン送込み回送だったが、それ以来9年1か月近くのブランクを経ての再会。その間に本当に色々とあったなと思うと込み上げてくるものがあった。してその間に出会った=LOVEの好きな曲を聴きながらAE100を眺めていると不思議な気持ちになりつつサントラの効果ってすげえなとも思った。
こんな近くであのリトラクタブルライトを見ることなんてなかったから新鮮。これ内側のライトが光るのってハイビームの時なんだっけ。なんかどっかで曲線に合わせて照射角度か何かを変えられるって聞いたっけか。
再び車内、今度はフラッシュ焚いてみました。無論普段は電車にフラッシュなんて焚いていないのでご安心を。いつかまたこの車内に入る日を楽しみにしている。願わくはAE100形がフラッグシップだった時代に1号車または8号車の喫煙席で酒を飲んでタバコを吸いながら優雅に帰宅してみたかった。今の俺がもしその頃のAE100がいる時代に生きていたら間違いなく酒飲んでタバコ吸ってついでに記事も書いていると思う。
楽しい時間はあっという間に終わるもので、お別れのお時間がやってまいりました。私の推しの1人でもある=LOVEの山本杏奈さんがMCを務めていたラジオ番組、通称マヨラボのエンディング曲でも使われていた同グループの楽曲「探せダイヤモンドリリー」でお別れしたいと思います。ドルオタくんすぐそうやってry。ダイヤモンドリリーの花言葉の1つは「また会う日を楽しみに」。
再び車内に戻り、アンケートに回答させていただきつつ専用の臨時列車で八千代台を目指していく。
ここで購入した下敷きが最初の仕事をするという(笑)。かっこいいなこれ。下敷きを使う機会こそあんまりないが、その分使用回数を重ねるごとに劣化していくこともないので、そういう意味では10年後もピカピカのままで保存していられたらと思う。10年後の私は35ちゃい、もしかしたらパパになっていて、私の子供がこの下敷きを使っている可能性は…ないな。うん。というか結婚なんてしたくないし、したいとしても私ができる訳もないんだから。
という訳で僭越ながらアンケートも回答させていただいた。
という訳で見慣れた八千代台に団体臨時列車の3051編成でやってきた。いつもの八千代台駅(ってほど使ってないけど)と景色が違った気がしなくもない。3051編成には船橋競馬場→宗吾→八千代台とお世話になりました。また本件ツアーに際しては京成トラベル・京成電鉄・新京成電鉄・北総鉄道、そして関係各社の皆さまのご尽力あってのもの。この場で大変恐れ入りますが、一参加者として心から御礼を申し上げます。楽しい時間と企画を本当にありがとうございました。
改札外でアンケートを回収していただいて引換えにユアエルムで使えるバウチャー券をいただいた。腹も減っているので適当に店を見繕いつつ、社会人とはいえ決して高給取りではないので安定して飲めるサイゼリヤを選択。
飲みます。体内アルコール消毒です。そういえばAE161に鳥のフンが落ちていたのが気になったので何となく蒸し鶏のおつまみを頼んでみました。※嘘です
あとピザね。なんか見ていて腹が減ってきた(笑)。ピザ食いたいけどあんま食べ過ぎて太るのも不本意なのでラーメン以上に我慢我慢。あと普通に高いしね。何が財源がないから増税しますだよ。中国に媚びるクソみたいな政治家からしたら私たち日本人の生活なんてどうでもいいのだろうな。そんなクソみたいな政治家について言及するだけでピザの食材と店員さんに失礼なのでそれは割愛。結局500円値引きになったので1kちょいで色々と食べられた。して私は撮影地に迷った挙句、次は志津で何か撮っていこうということになった。それに関してはまた次回以降どこかの記事にて書かせていただこうと思う。