旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

九州を走った北陸育ちのF級交流電機 EF70形【5】

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《前回からのつづき》

 

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 1980年に門司区にやってきたEF70形は、さっそく鹿児島本線日豊本線で運用が始められました。

 九州では、冬季の客車用暖房に蒸気暖房を使用していたため、客車用機に蒸気発生装置が必須でした。しかし、北陸本線は客車用暖房に電気暖房を使用していたため、EF70形にはその装備がありません。そのため、EF70形は一般の客車列車に充てられることはなく、貨物列車用として使われました。また、暖房用の電源や蒸気発生装置が不要な寝台特急の運用にも充てられていきます。

 しかし、EF70形はF級機であるがゆえに、軸重の重さが問題になりました。特に、鹿児島本線熊本以南や、日豊本線大分以南は「本線」ではあるものの、輸送密度が低いことから線路等級も低く、軸重制限がかかっていました。そのため、軸重の重いEF70形は入ることができず、活動の場は九州北部に限られてしまいます。

 また、F級機であることの弊害は、ほかにもありました。

 F級機は主電動機6基を備えたパワーの強さが長所ですが、九州ではそのパワーの強さが却って持て余されることになりました。そもそも北陸本線をはじめとする日本海縦貫線のように、北日本と西日本を結ぶ人流においても物流においても要衝となるような路線は九州にはなく、九州北部に限定されているとはいえ、長大かつ重量の重い貨物列車はほとんどありません。筑豊炭田などで産出される石炭輸送も想像できますが、1980年以降は炭鉱の閉鎖も相次ぎ、石炭輸送も減る一方でした。また、国鉄の貨物輸送はこの頃になると凋落の一途を辿っていき、列車の設定もなくなる一方だったのです。

 また、九州へ渡ったEF70形を不幸にも持て余されることになった要因のもう一つに、転出にあたっての車両の選出でした。61~71号機は二次形で、機関車出力も2,300kWを確保していましたが、高速列車を牽引する装備のない一般形であったことでした。

 

現在はその名は北陸新幹線の列車に使われているが、かつては大阪ー新潟間の寝台特急であった「つるぎ」。運転開始当初は20系、後に24系25形に置き換えられたが、この列車の先頭にもEF70形が先頭に立っていた時期があった。EF58形、EF70形、そしてEF81形と3形式の電機がリレーしていたが、後に合理化などの理由でEF81形が全区間で先頭に立つことになった。(©Spaceaero2, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

 

 同じ二次形でも、高速列車牽引用の改造を受けた1000番代は、既にお話ししたように元空気溜管引通や電磁自動空気ブレーキの制御回路などを備えていました。この装備は、20系客車だけでなく、10000系高速貨車で組成される特急貨物列車にも使うことができます。

 寝台特急も1980年代に入ると多くが14系や24系といった、機関車を選ばない客車で運行されていましたが、それでもすべてを置き換えたのではなく、一部には20系で運行されているものもありました。また、貨物列車も九州島内発着を除いて、その多くは本州との間を結んでいました。特に、関西圏や首都圏との間に設定された、操車場を経ない「拠点間輸送」の特急貨物列車には10000系貨車が使われていました。九州発着の長距離貨物列車には、このような特急貨物列車も設定されていたため、1000番代のような特殊装備を持たない一般形のEF70形では牽くことができないか、あるいは牽いても多くの制約が伴ったのです。

 結局、蒸気発生装置をもち、中間台車によって軸重調整が可能なED76形が増備されると、北陸からやって来たEF70形は次第に使われなくなっていき、ついには留置線に繋がれたまま運用されなくなっていきました。1980年に北陸から九州へやって来て、僅か2年後にはそうした状態のEF70形が多数ある状態にまでなってしまったのでした。

 いずれにしても、北陸本線の主役の座を得たものの、EF81形の登場と増備によってその座を追われ、西の彼の地である九州で第二の活路を見いだしたものの、北陸時代と同じように後継車となるED76形の増備によって、それも叶うことがなかったのです。

 定期、不定期を問わず、優等列車や写真のように注目を集める団臨の先頭に立ったことは、不運が続いたEF70形のなかでも、最後の輝きを放っていた時であることは間違いないでしょう。

 一方、21両ものEF70形が抜けた北陸本線では、その穴埋めをしなければならない状態でした。貨物列車はダイヤ改正のたびに削減される中でも、北陸本線の貨物輸送はそれなりに旺盛であり、近江塩津駅糸魚川駅のロングラン運用が常態化していたEF70形は、その戦力を削がれて輸送力が大幅に低下してしまいました。

 そこで、余剰となり留置線で半ば放置されていた一次形が、再整備の上再び現役へ戻されました。九州へ転出していった二次形の穴を埋め、貨物列車の先頭に再び立つことになったのです。

 しかしながら、これも長続きはしませんでした。

 

《次回へつづく》

 

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