今年は「昭和100年」。

鉄道の始まりは明治からですが、昭和の鉄道は国・私問わず、様々な列車や車両が登場し、太平洋戦争や様々な自然災害という悲劇もありましたが、技術の進歩とともに車両もグレードアップしていきました。列車でいうと、特別急行列車(特急)が登場したのは明治末期まで遡りますが、その特急に親しみを込めて愛称が付されるようになったのは昭和4年から。その翌年には超特急も運転されるようになり、戦後は飛躍的に特急列車の需要が高まっていきます。

機関車+客車が主流だった特急に電車が使われるようになったのは昭和33年からで、電車の優位性が証明されると立ち位置はすぐに逆転し、昭和35年には昼行の客車特急は全滅、その4年後に開業した東海道新幹線はその集大成と言えます。一方、私鉄も最新技術を駆使した個性豊かな新型の特急用車両が次々に登場し、車両によっては国鉄特急を上回るホスピタリティを誇り、国鉄からのシェア奪取に一役買うことになります。

 

しかし皮肉なことに、電車特急の最高峰とも言える新幹線が開業したら国鉄は大赤字に転落し、民営化まで黒字になることはありませんでした。

この間、国鉄もただ指をくわえて見ているだけでなく、焼け石に水ながらも、様々な施策で赤字をどうにか無くすあるいは減らす努力はしていたみたいです。その施策の一環に「特急列車の大衆化」があります。

それまでの国鉄特急は上から目線で、乗客層もお金持ちの人ばかり。でも、それだけでは増収になりませんので、もっと門戸を大きく拡げて多くの人に特急を利用してもらう必要があります。それが「大衆化」。

具体的には、単一列車の運転本数を増やして、乗車券と特急券だけで乗れる座席(自由席)を数両連結して、決まった時間に発着するなど判りやすいダイヤを設定して利用しやすくしました。

この施策は昭和47年10月から始まり、「エル特急」と呼ばれました。

 

 

画像はそのエル特急の第一期生で、廃止されるまでエル特急の代名詞であった「ひばり」。

ほんの一瞬、東京駅から発着する列車も設定されていましたが、基本的には上野-仙台間の列車です。「雷鳥」や「有明」のように列車によって行く先が違ったりしますけど、運転区間が統一しているのは意外に稀有な存在。

そして、一時期583系が充当されたことがありましたが、これも基本的には一貫して485系が使われていましたので、485系使用列車の代名詞でもありました。

 

【下り】

1号(上野発7:00、仙台着11:15)

大宮 宇都宮 白河 郡山 福島 白石

3号(上野発8:00、仙台着12:15)

大宮 宇都宮 黒磯 郡山 二本松 福島 

5号(上野発9:00、仙台着13:15)

大宮 宇都宮 西那須野 黒磯 郡山 福島 白石

7号(上野発10:00、仙台着14:15)

大宮 宇都宮 黒磯 須賀川 郡山 福島

9号(上野発11:00、仙台着15:15)

大宮 宇都宮 黒磯 白河 郡山 福島

11号(上野発12:00、仙台着16:15)

大宮 宇都宮 郡山 本宮 福島 白石

13号(上野発13:00、仙台着17:15)

宇都宮 須賀川 郡山 二本松 福島

15号(上野発14:00、仙台着18:15)

大宮 宇都宮 郡山 二本松 福島 白石

17号(上野発14:30、仙台着18:45)

宇都宮 郡山 本宮 福島 岩沼

19号(上野発15:00、仙台着19:15)

宇都宮 黒磯 須賀川 郡山 福島

21号(上野発16:00、仙台着20:15)

大宮 宇都宮 黒磯 郡山 福島 白石

23号(上野発17:00、仙台着21:15)

大宮 宇都宮 西那須野 須賀川 郡山 福島

25号(上野発18:00、仙台着22:15)

大宮 宇都宮 黒磯 郡山 二本松 福島 白石

27号(上野発19:00、仙台着23:15)

大宮 宇都宮 須賀川 郡山 福島 白石

 

【上り】

2号(仙台発5:58、上野着10:13)

福島 郡山 須賀川 黒磯 宇都宮

4号(仙台発6:58、上野着11:13)

白石 福島 本宮 郡山 宇都宮 大宮

6号(仙台発7:58、上野着12:19)

岩沼 福島 二本松 郡山 白河 西那須野 宇都宮 大宮

8号(仙台発8:58、上野着13:16)

白石 福島 郡山 黒磯 宇都宮 大宮

10号(仙台発9:58、上野着14:13)

白石 福島 二本松 郡山 宇都宮

12号(仙台発10:58、上野着15:13)

白石 福島 本宮 郡山 黒磯 宇都宮

14号(仙台発11:58、上野着16:13)

福島 二本松 郡山 須賀川 宇都宮 大宮

16号(仙台発12:58、上野着17:13)

白石 福島 郡山 黒磯 宇都宮 大宮

18号(仙台発13:58、上野着18:13)

福島 二本松 郡山 西那須野 宇都宮 大宮

20号(仙台発14:58、上野着19:13)

白石 福島 郡山 黒磯 宇都宮

22号(仙台発15:58、上野着20:13)

福島 郡山 須賀川 黒磯 宇都宮 大宮

24号(仙台発16:58、上野着21:13)

白石 福島 郡山 白河 宇都宮 大宮

26号(仙台発17:58、上野着22:13)

福島 二本松 郡山 須賀川 宇都宮 大宮

28号(仙台発18:28、上野着22:43)

白石 福島 本宮 郡山 宇都宮 大宮

 

上記の表は55.10改正時における、「ひばり」各列車の停車駅になります。

「ひばり」は15往復設定されてたと思っていたんですが、14往復になっていますね。もしやと思って調べたらやはり、55.10改正で1往復減になっていました。

この中で全列車が停車するのは宇都宮、郡山、福島だけで、大宮を通過する列車が数本あります。

仙台は東北地方最大の都市。故に、企業の支社も多いので、「ひばり」のアイデンティティがビジネスライクに徹しているのは勿論のこと、地域間輸送も重要な役割だったりしますので、運転本数が多ければ多いほど、停車駅がまちまちになるのは致し方がありません。これは「エル特急四天王」って言われた(かぁ~?)、「とき」「雷鳥」「有明」にも同じ事が言えます。

これだけ停車駅がまちまちなのに、所要時間4時間15分というのは一貫しています。普通なら停車駅が多い列車はそれだけ到達時間が遅くなりますが、何処かでブッ飛ばして4時間15分に間に合わせているのがよく判ります。

そして、それを示すかの如く、主要駅以外はスルーするというのも今のJR特急には無い誇らしさがあります。中小都市は影武者的な役割を果たしていた急行に委ねていた部分があり、その辺はハッキリしていました。

 

画像ですが、イラスト入りのヘッドマークになっていますので、53.10改正以降に撮影されたものと思われます。

基本的に「ひばり」は仙台運転所(仙セン)が管轄しているんですが、画像のクハ481には連結器カバーが取り付けられています。これは青森運転所(盛アオ)特有のアイテムなので、53.10改正以降も青森配置車が「ひばり」に充当されていたのでしょうか? それとも仙台配置車にも青森の連結器カバーを取り付けるようになったのでしょうか?

それこそ、53.10改正前までは青森も受け持っていて、同じ485系でも先頭車の違いや編成そのものが違っていたりしてバラエティに富んでいたんですが、改正後は中間の6号車と7号車にグリーン車と食堂車を連結するフォーメーションに統一されています。

 

「ひばり」に代表されるエル特急はダイヤ改正の度に増殖していきます。特にSLが無くなった昭和50年代以降、ブルートレイン(注:東京駅発着の九州行き列車に限定されますが)と並び称されるガキどものアイドルになり、上野駅や大阪駅などでは、カメラ小僧が大挙、出没しました。国鉄側もそれを感じ取っていたのか、終いには規定に達しなくてもエル特急にしちゃうケースも出てきました。つまり、直近3場所で33勝に到達出来なくても昇進させちゃう大関のようなもので、「「カッキリ発車」じゃなくても、「数自慢」じゃなくても、自由席さえ連結していればあんたはエル特急よ」という適当な番付編成会議があの頃の国鉄にはありました。

 

「ひばり」「とき」「雷鳥」「有明」は上下合わせて10本以上の列車が設定されていましたが、概ね6本以上であればその資格を有することが出来ます。例えば「やまびこ」。53.10改正以降、1日4往復しか設定されていませんが、上野-盛岡間で「はつかり」と被ります。つまり、「はつかり」のグループにすれば両列車合わせて10本設定されることになるので、これで強引に「やまびこ」をエル特急にしたもの。同様の手口で「つばさ」と「やまばと」、「あさま」と「白山」がエル特急になりました。もっとも、「あさま」は最初から10本程度設定されていたので最初から(50.3改正以降)エル特急でしたけど、3往復しかなかった「白山」を無理繰り「あさま」グループにねじ込みました。

当時は「エル特急」というだけで箔が付いた時代、大人の愛好者は「特急のバーゲンセールじゃねぇか」と嘆きましたが、そんな大人の事情など知る由も無いガキどもはエル特急が増えれば増えるほど狂喜乱舞したものです。ブルートレインは増えにくかったけど、「選ばれた」列車だけがあの青い客車を使え、機関車には丸いヘッドマークを付けることが許されたので、そういう羨望感みたいなものはありました。

 

今は全部が全部大衆化しているので、エル特急は今や “死語” なんですが(2018年に消滅)、鉄道趣味が面白かった時代の象徴でしたね。

 

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

時刻表1980年12月号 (日本国有鉄道 刊)

エル特急大図鑑 (天夢人社 刊)