皆さま、こんにちは!
今日は4年前に訪れた
予讃線・伊予桜井(いよさくらい)駅の訪問記です。
本題に入る前に…
伊予桜井駅が最近ニュースになりましたが
皆さん記憶にありますかね?
今年の2月から全国各地で発生した山火事です。
今治市では3月23日、市内南部の長沢地区から火が起こりました。
火の勢力は次第に増し、市内を伸びる予讃線に接近。
火の粉が伊予桜井駅構内にも飛んできました。
その結果、上の写真に写る樹木が炎上。
懸命な消火活動により間もなく火は消し止められましたけど、
予讃線の3日間の運休と
5日間、伊予桜井駅の通過処置がとられたとのことです。
地震や水害で鉄道施設が被災したニュースはよく耳にしますが
駅構内が燃えたニュースは驚きましたよ。
そんな伊予桜井駅、
個人的に強く印象に残っていたのは駅舎でした。
伊予桜井駅は予讃線が開通した大正12年に開業。
画像のとおり、キレイに改装されてますけど
実は開業当時の駅舎っぽいのです。
その根拠ですけど、
駅舎をホーム側から見ると
国鉄時代に使われていた駅長室の監視窓の痕跡が残ってまして…
後天的に設けられた駅便(駅の便所)の後ろに見えるでっぱりが
ソレでした。
ちなみに伊予桜井駅が無人化されたのは昭和46年で、
翌年のダイヤ改正より
特急「しおかぜ」(四国初の特急列車)が運行されることから
これを機に跨線橋が設けられてます。
ようは、今ある駅舎は有人駅時代の駅長室があることから
昭和46年以前から使われている古い駅舎だってことで。
その頃の駅舎は開業当時と大差なさそうなので
今年で竣工102年目を迎える駅舎で間違いなさそうです。
余談ですが、伊予桜井駅が無人化された以後は
構外簡易委託駅として
駅前にある商店さんできっぷが売られていた模様。
この販売形態は5年前まで続いていたみたいですね。
今なら無人化された時点で駅舎が解体されそうですけど、
大金をはたいて古い駅舎を改装する
この頃のJR四国はホントに粋だと思いますよ。
そんな駅舎の内部はこんな感じでした。
駅舎は既に無人化されてるJR移行直後に改装されましたが
なぜか出札窓口が設けられてます。
改装された頃はバブル経済で
世の中が浮かれていた時期だったはず…
将来、有人駅に戻す見込みがあったのかしら?
出札窓口の向かい側にある待合所の様子です。
続いてはホームにイン。
伊予桜井駅は列車の行き違いが可能な
相対式ホーム2面2線構造でした。
ホームのフェンスに伊予桜井駅を紹介する
こんな看板が掲げられてましたっけ。
看板にでっかく”③”が書かれてますけど
①と②はどこにあるのでしょう?
「桜井駅は通勤通学などの限られた乗客ばかりとなって、
遂に無人駅になってしまった」
なんて寂しく書かれてますけど、鉄道マニアも訪れてますからね!
そうそう、伊予桜井駅がある今治市桜井、
昭和30年までは桜井町だった地域のことですけど
実はすごい「日本初」の持ち主なのです。
今はどこでも当たり前に行われている「割賦販売」ですが、
日本ではここ桜井が起源なんですって。
この地域で200年ほど前から作られている桜井漆器の販売で
月賦販売が用いられたそうですよ。
「割賦販売」発祥の地って何気にすごいし
もっとアピールした方がイイと思うは自分だけでしょうかね?
駅舎の脇に不思議な形状の水汲み場?がありました。
ここはたしか開業当時に駅便があった場所です。
その頃に使われていた水汲み場の可能性もアリ?
だとしたら百年以上前のブツってことになるのですけど。
列車が到着すると
日中にも関わらず10人近くの方が乗車されました。
先に見た看板に書かれてたような寂しさは
微塵も感じませんでしたよ。
最後は様々な方角から俯瞰した駅舎の写真で〆ます。
今治市の山火事、
住まいを失った方が大勢いらっしゃるので
大手を振って喜ぶことは出来ませんが、
駅舎は無事だったようでホッとしてました。
山火事から難を逃れた駅舎ですので
いつまでも大切に使われることを願ってます。
伊予小松駅
壬生川駅
伊予桜井駅(令和3年4月10日)
伊予和気駅
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