当時、神明駅折り返しの運用があり、日中は構内の側線に留置していましたが、この運用は代々古参車両が充当されるのが常でした。
120形は僅か2両編成2本ながら、前後で異なる形態の編成を組んでおり、チグハグさがいかにも「福鉄」でした。
武生寄りは、戦後に自社発注した車両で、正面非貫通・中央に運転台のローカル私鉄らしい前面でした。
福井寄りは名鉄払下げの車体で、リベット打ちの無骨な顔つきでした。
当時は車体の広告が目障りに映りましたが、今となると手書き文字から「昭和らしさ」が味わえます。
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当時、神明駅折り返しの運用があり、日中は構内の側線に留置していましたが、この運用は代々古参車両が充当されるのが常でした。
120形は僅か2両編成2本ながら、前後で異なる形態の編成を組んでおり、チグハグさがいかにも「福鉄」でした。
武生寄りは、戦後に自社発注した車両で、正面非貫通・中央に運転台のローカル私鉄らしい前面でした。
福井寄りは名鉄払下げの車体で、リベット打ちの無骨な顔つきでした。
当時は車体の広告が目障りに映りましたが、今となると手書き文字から「昭和らしさ」が味わえます。