旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

九州を走った北陸育ちのF級交流電機 EF70形【1】

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いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 九州といえば、筆者はすぐに赤い電機を思い浮かべます。本州とは異なり、九州島内はすべて交流20kV60Hzで電化されているので、見慣れた青く塗られた直流電機ではなく、真っ赤に塗られた交流電機の活躍の場だからです。

 ほかにも、本州と九州とでは違う雰囲気があったように思えます。

 駅で列車を待っていると、本州、特に関東では列車の接近を知らせるのは自動音声のアナウンスだったり、あるいはそうした設備がなければホームで輸送業務にあたる駅員(輸送掛)の案内放送があったりしました。ところが、九州島内では列車が駅に接近すると、発車時に使う電子ベルを長い時間鳴り響かせていました。これは今でも変わらず、近年、博多駅久留米駅などに降り立ったときにこの接近ベルを耳にし、九州に来ているんだと若かりし頃、鉄道マンとして彼の地にいたことを思い起こさせてくれました。

 さて、九州で活躍する電機は、先にお話したように交流電機または交直流電機です。今日では、これら電機を運用するのはJR貨物だけになってしまい、その数も、筆者が九州で勤務していた頃と比べると大幅に減ってしまいました。しかし、我が国の物流を支える貨物輸送にとっては欠かすことのできない存在であることから、今なお貨物列車の先頭に立ち続けているのはご承知のことでしょう。

 2025年現在、九州で電機が配置されているのはJR貨物門司機関区だけです。ここには関門区間をメインに、福岡貨物ターミナル駅まで運用される新鋭の交直流機EH500形をはじめ、国鉄から継承しかつての関門区間のスターだったEF81形、そして交流機であるED76形が配置されています。EH500形はJR貨物によって開発・製作された電機ですが、EF81形とED76形は国鉄から継承した電機で、特にED76形はJR東日本保有し、東北地方で運用するED75形と並んで数少ない交流機となってしまいました。

 しかし、分割民営化がされる前には、実に様々な交流機が九州にも配置され、貨物列車はもちろんのこと、ブルートレインといった寝台特急や荷物列車、さらにはジョイフルトレインなど様々な列車の先頭に立つ姿が見られました。

 今回は、その中でもひときわ目立ったと思われる、交流機では数少ないF級機、EF70形形のことに触れたいと思います。

 

ED76形は九州島内の標準交流機として寝台特急から貨物列車に至るまで、広汎に渡って多くの運用をこなしてきた。軸重可変機構を備えた中間台車、冬季の暖房用熱源となる蒸気発生装置を装備したことで、運用範囲は九州全域に及び、そして旧形客車を含めた連結相手を厭わない万能機だった。分割民営化後はその数を減らしたものの、しばらくはその役割に変わることはなかった。しかし、寝台特急の全廃によってJR九州保有車はすべて退いていき、残るのはJR貨物に継承された車両たちだった。それも、2020年代も半ばになり老兵であるED76形も後継車に跡目を引き渡す時期にきている。(出典:写真AC)

 

 EF70形はもともと九州で運用することを前提とはしていませんでした。本来は、北陸本線の北陸トンネル開通とともに、福井駅−今庄駅間が交流電化されること、さらには北陸本線の電化延伸が続いていたことや、そもそもの列車単位が非常に大きいことから、これに対応できる強力な交流電機として開発製造されました。

 もっとも、最初は北陸トンネルを堺に米原方は勾配が連続し、トンネル内は多湿な環境であることから交流機としては初のF級機としましたが、福井方以東は平坦であることからD級機でも十分との判断がされ、ED74も並行して新製されました。しかし、F級機のパワーであれば平坦区間での列車牽引定数を引き上げて輸送力を増強できることがわかると、わざわざ2機種を製作するのは効率が悪いという判断がなされ、D級機であるED74は製造中止とし、増備はEF70形に絞られていきました。

 いまとなっては、機関車を付け替える手間とコスト、わざわざ2車種を用意しそれを維持管理する運用コストと非効率性を考えると、強力なF級機だけをつくれば事が足りるのは誰もが予想しえます。しかし、国鉄にはそうした「合理的な発想」は難しかったようで、必要と考える車両はどんどんつくり、そして機関車の付替えは蒸機時代にはあたり前のことだったので、蒸機から電機になってそれは変えることがない当然のこととされていました。

 

九州の交流機の歴史はこのED72形から始まった。主整流器には水銀整流器を搭載し、中間台車と蒸気発生装置を装備したことで、客貨両用機として運用されたものの、軸重が重いことから運用範囲は九州北部に限定された。後にシリコン整流器への交換、蒸気発生装置の撤去といった改造を受け、ED76形が量産されるまで多くの列車の先頭に立ち続けた。(ED72 1〔門〕 九州鉄道記念館 2007年10月9日 筆者撮影)

 

 こうした国鉄の体質から、後年になり多くの余剰車を出す結果となり、中には会計検査院からも「無駄」などと指摘される始末で、寿命をまっとうすることなく車両の墓場へ送り込まれて解体されてしまう「悲運」を多く生み出しました。

 このことは、わざわざ作り分けたED74とEF70形にも当てはまることでしたが、これについてはED74の稿でお話しているので、ここでは詳しく述べませんが、いずれにしても国鉄らしい発想だったことはいえます。

 

《次回へつづく》

 

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