あの時、何を感じていたんだろう。
“27年前”を思い出しながら歩く旅。
初めての仙石線高城町駅で、6分間だけの途中下車。
これまた初遭遇のHB-E210系を撮っていると…
車体にマンガッタンライナーの文字が!
側面だけだが、HB-E210系にもマンガッタンライナーが居たのである。
つくづく、こうした部分の情報収集力がまるでない。
興味が薄かったと言ってしまえばそれまでだが。
公式情報から見るに、こちらは「夢」編成と言うらしい。
仙石東北ラインのデザインを損なわない仕上がりになっていると。なるほど。
ということで、またまたマンガッタンライナー同士の並びを撮ることに成功。
ガッツリ予定を組んで来なかったゆえ、こうした邂逅にも喜びが増すから却って良いのかも。
ガチガチに予定を固めておいて、いざ遭遇できなかった時の失望・落胆は大きなものがあるからね。
ただ、ここではこれで石巻へは行かない。
今回の旅は、今までの仙石線訪問において全く目的にならなかった205系がメイン。
引退が見えてきた今だから、穏やかなうちに巡ってみようと腹を決めたのである。
205系化されてしまったことで、長らく訪問機会が無くなっていたこともあり…
それを取り戻す為に、ようやく重い腰を上げたことになった。
その方向性が、この高城町でいよいよ固まった。
しかし、多賀城駅高架化工事で3年ほど103系の復活運行があったものの、結局はほとんど朝のみの
限定運用だったのと、いざ仙台まで来ても、最終的な目的地は廃線となったくりはら田園鉄道。
そして北上線から秋田へ抜けて寝台特急「あけぼの」で帰京。
そして、東日本大震災で甚大な被害を被ってしまった。
震災後も一度だけ仙台に来ているが、TUBEのライブを見てすぐに帰京。
仙石線再訪の機会はとうに訪れることはなく、悪戯に時間が過ぎてしまっていた。
内陸移設を経ての全線再開まで4年余りがかかり、仙石東北ラインの整備もあって205系の存在感も
じわりじわりと薄まり始め、近年は老朽化も避けて通れない課題になってきていた。
首都圏の稼働車が僅か2両、それも毎日走ることもなくなった現在、まとまって毎日走っているのは
現在では北の仙石線、西の奈良線のみといった状況。
一時期は首都圏であれだけ隆盛を誇っていた国鉄型の最終形態は、時代に応じた手直しを受けながら
いよいよその長い活躍に終止符を打つ時が近づいてきているのだ。
その現実を直視し、ようやくの再訪に約14年をも費やしてしまった。
さて、10:48に高城町を発車。
少しばかり仙台方面に戻り始める。
仙石東北ラインとの分岐点近くを通過し、さらに西へ。
再び松島海岸駅へ。
上り新ホームは場所柄1両分ほど石巻方にズレて建設されていた。
石巻方面電車の後追い撮影には、そこそこいい感じで撮れる…かもしれない。
折り返し発車を待っていたのは、3100番台トップナンバーであるM1編成。
ここではそのままマンガッタンライナーⅡに乗り続ける。
Ⅱの車内には、さらに多くの石ノ森キャラクターが。
東塩釜も超えて…
本塩釜へ到着。
ここで、マンガッタンライナーⅡを一度見送って…
高城町駅に続いて、外に出てみることに。
本塩釜駅は初めて下車。
1981(昭和56)年11月1日に高架複線化に伴い線路付け替えを行い、現在地に移転してきた。
ここはもともと、貨物駅の塩釜港駅の敷地内であった。
後の東北・上越新幹線や埼京線・京葉線でも見られた昭和後期の高架駅という風情である。
立派な石塔がロータリーにある側は「神社参道口」と呼ばれる。
さて、出口はもう一ヶ所あって…
「MAGUROの詩」なるオブジェを見上げつつ、また歩いてみると…