冬の胸キュン♡は難行苦行!2025.2.19 たびキュン♡早割パスで行く冬の◯◯旅⑦ | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。
その時限りも大事だけど、できる限り日常を大事に。

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あの時、何を感じていたんだろう。

“27年前”を思い出しながら歩く旅。


初めての仙石線高城町駅で、6分間だけの途中下車。

これまた初遭遇のHB-E210系を撮っていると…

車体にマンガッタンライナーの文字が!


側面だけだが、HB-E210系にもマンガッタンライナーが居たのである。

つくづく、こうした部分の情報収集力がまるでない。

興味が薄かったと言ってしまえばそれまでだが。

公式情報から見るに、こちらは「夢」編成と言うらしい。

仙石東北ラインのデザインを損なわない仕上がりになっていると。なるほど。


ということで、またまたマンガッタンライナー同士の並びを撮ることに成功。

ガッツリ予定を組んで来なかったゆえ、こうした邂逅にも喜びが増すから却って良いのかも。

ガチガチに予定を固めておいて、いざ遭遇できなかった時の失望・落胆は大きなものがあるからね。


ただ、ここではこれで石巻へは行かない。


今回の旅は、今までの仙石線訪問において全く目的にならなかった205系がメイン。

引退が見えてきた今だから、穏やかなうちに巡ってみようと腹を決めたのである。

205系化されてしまったことで、長らく訪問機会が無くなっていたこともあり…

それを取り戻す為に、ようやく重い腰を上げたことになった。

その方向性が、この高城町でいよいよ固まった。


しかし、多賀城駅高架化工事で3年ほど103系の復活運行があったものの、結局はほとんど朝のみの

限定運用だったのと、いざ仙台まで来ても、最終的な目的地は廃線となったくりはら田園鉄道。

そして北上線から秋田へ抜けて寝台特急「あけぼの」で帰京。

そして、東日本大震災で甚大な被害を被ってしまった。


震災後も一度だけ仙台に来ているが、TUBEのライブを見てすぐに帰京。

仙石線再訪の機会はとうに訪れることはなく、悪戯に時間が過ぎてしまっていた。

内陸移設を経ての全線再開まで4年余りがかかり、仙石東北ラインの整備もあって205系の存在感も

じわりじわりと薄まり始め、近年は老朽化も避けて通れない課題になってきていた。


首都圏の稼働車が僅か2両、それも毎日走ることもなくなった現在、まとまって毎日走っているのは

現在では北の仙石線、西の奈良線のみといった状況。

一時期は首都圏であれだけ隆盛を誇っていた国鉄型の最終形態は、時代に応じた手直しを受けながら

いよいよその長い活躍に終止符を打つ時が近づいてきているのだ。

その現実を直視し、ようやくの再訪に約14年をも費やしてしまった。



さて、10:48に高城町を発車。

少しばかり仙台方面に戻り始める。

仙石東北ラインとの分岐点近くを通過し、さらに西へ。


再び松島海岸駅へ。

上り新ホームは場所柄1両分ほど石巻方にズレて建設されていた。

石巻方面電車の後追い撮影には、そこそこいい感じで撮れる…かもしれない。


折り返し発車を待っていたのは、3100番台トップナンバーであるM1編成。

ここではそのままマンガッタンライナーⅡに乗り続ける。


Ⅱの車内には、さらに多くの石ノ森キャラクターが。


東塩釜も超えて…


本塩釜へ到着。


ここで、マンガッタンライナーⅡを一度見送って…

高城町駅に続いて、外に出てみることに。


本塩釜駅は初めて下車。

1981(昭和56)年11月1日に高架複線化に伴い線路付け替えを行い、現在地に移転してきた。

ここはもともと、貨物駅の塩釜港駅の敷地内であった。

後の東北・上越新幹線や埼京線・京葉線でも見られた昭和後期の高架駅という風情である。

立派な石塔がロータリーにある側は「神社参道口」と呼ばれる。


さて、出口はもう一ヶ所あって…

「MAGUROの詩」なるオブジェを見上げつつ、また歩いてみると…