何駄感駄問題が山積しながらも、今日(4月12日)は大阪・関西万博の開幕日。見切り発車感は否めませんし、「ホントに大丈夫かいな?」と不安は払拭し切れていませんが、実際に行った方々が「良かったね」と思えれば良いのかなって思います。
そして、どうしても×29、55年前の大阪万博と比較してしまうのが日本人の悪しきクセなんですけど、今回の大阪・関西万博が55年前の大阪万博を超えるイベントになるのかどうかはやはり注目されます。2020東京オリンピック/パラリンピックが新型コロナの影響もあって、期待されたほどの費用対効果は得られませんでしたしね。
その55年前の大阪万博ですが、以前、国鉄が万博輸送のために新幹線・在来線合わせて5,000本以上の臨時列車を設定したという話をしましたけど、私鉄も阪急や大阪市営地下鉄を中心に、万博輸送に力を注ぎました。そして、この万博のために新たな鉄道も開業しました。
北大阪急行電鉄です。
元々、北大阪急行電鉄は千里丘陵を開拓して造成される新たな住宅地(千里ニュータウン)のアクセスとして計画されたのが事の発端で、計画段階では大阪市が地下鉄御堂筋線を延伸させるつもりだったんですが、その千里丘陵が日本万国博覧会が開催地となったため、万博輸送も担うことになりました。
国は大阪市と大阪府に対して御堂筋線の延伸を促しますが、当時の大阪市交通局は「市営地下鉄は大阪市からはみ出てはならない」という決まりみたいなものがあり、延伸するにしても延伸区間にぶつかる吹田市や豊中市のご機嫌も伺わねばなりません。様々な議論の末に、大阪府と阪急が出資する第三セクター方式で御堂筋線の延伸部を建設することが決まり、北大阪急行電鉄が設立されて経緯があります。
建設は阪急主体になっており、設立時から阪急の子会社になっています。
1970年2月24日、江坂-千里中央(仮)間の南北線と、千里中央(仮)-万国博中央口間の会場線が開業し、3月15日の万博開会に備えました。なお、万博会場へのアクセスとしてもう一つ、阪急千里線も開会期間中は南千里-北千里間に万国博西口駅を設置し、大阪市営地下鉄堺筋線も万博輸送を念頭に置いて1969年12月に開業、阪急千里線と相互直通運転を開業時から実施しています。
会場線は同年9月の万博閉会とともに廃止されていますが、会場線の建設は中国自動車道を一時期的に転用したもので、線路の撤去費用は国が負担していることから、北急側の支出はゼロに等しく、また蓋を開けてみれば、押し寄せる来場者で毎日ウハウハな状態。今も御堂筋線との兼ね合いで収支係数は真っ黒黒けの大黒字。大阪市もさぞかし「吹田や豊中に弓を引いても御堂筋線として建設すべきだった」と地団駄踏んだことでしょうね。
さて画像ですが、「万国博」の行く先表示が時代を感じさせる北急初代車両、2000形です。
事実上、大阪市営地下鉄30系のOEM供給車で、登場当初は後に加えられるマルーンの帯もなく、側面だけでは大阪市30系と識別が困難でした。
北急ではこの2000形の他に、後々大阪市に編入するつもりで導入した7000形(ステンレス車体)と8000形(アルミ車体)も存在しました。
撮影場所はおそらく、万国博中央口駅でしょうね。窓が開いているということは夏場の撮影でしょうか?
万博閉会後の北急は計画当初の目的だった千里ニュータウンへのアクセスが主となり、去年(2024年)は積年の念願だった箕面への延伸も実現、文字通り、北大阪地区の重要な足として確固たる地位を築いています。
そして会場線は廃止になりましたが、廃止から12年後の1982年12月に会場線とほぼほぼ同じルートで大阪モノレールが開業し、千里ニュータウンの足だけでなく、後々の延伸で伊丹空港へ向かうようになったので、 “空の足” としての機能も兼ね備えています。
そうそう、大阪モノレールといえば、阪急千里線の万国博西口駅もまた、万博閉会と同時に廃駅となりましたが、その見返りとして万国博西口駅が設置された場所から400mほどの場所に新たに駅を設置、これが山田駅で、大阪モノレール開業時に阪急千里線との乗り換え駅となりました。
北急も「そういう手があったかっ! 会場線を残しておけばよかった」と思ったか思わなかったかは知らんけど、一部の例外に例外はあれど、鉄道線あるところ、そこが未開発でも開拓されるものですよ。
このように、55年前の大阪万博は開会前も閉会後も大阪に様々な足跡を残していますが、果たして令和の大阪・関西万博はそんな足跡を残すことが出来るでしょうか・・・?
【画像提供】
ウ様
【参考文献・引用】
日本鉄道旅行地図帳第10号「大阪」 (新潮社 刊)
ウィキペディア(北大阪急行電鉄、同南北線、同2000形電車、大阪モノレールなど)