ようやく暖かい日が続き、鳴き遅れていた亀崎のウグイスもようやく鳴き始めました。しかしまだ「ケキョ」「ホケキョ」と練習中。例年に比べ1か月遅れです。通勤電車には新入社員、新入生の姿も目立ちますが、未だ混雑の電車に乗り慣れておらず、背後から降りる人からの身のかわし方など、未熟さが目立ちます。
模型の合間に古い写真のスキャンを進めています。今回はKK〇の課題のタンク機関車に因んで、国鉄10形。「クラウス17」として著名だった機関車です。1989年7月、釜石線の遠野駅前に展示されていました。この時は釜石線のD51、宮古のC108、盛岡のカ1500形撮影など盛り沢山の撮影旅行でした。
ドイツ製の好ましい機関車で九州鉄道が主、他に川越鉄道、両毛鉄道、甲武鉄道も購入しました。戦前の国鉄には元九州の名古屋に25、鳥栖に26が在籍していました。C53やC51と同居していたのです。現存車はこの17の他、北海道に15、宇佐神宮に26、防石鉄道2号機(←川越)と、同型機が4両とも残っているのは脅威です。私は一応これら全部撮影しました。この17はキャブのオリジナルのカーブが失われています。
前面。端梁の幅が狭いですね。
17は元は九州鉄道6。鉄道院買収で形式10を名乗りました。形式1,形式5に続き小さい方から3番目だったわけです。国有化後の形式入りナンバープレートが嬉しい。2桁なのでほぼ正方形。
是非当局でも作りたい機関車ですが、悩ましいのはこの細いロッドとヴァルブギヤ。クランクピンなんかも細く、パーツのクランクピン使用では再現できないので、考えなければなりません。台枠の細かいピッチのリヴェットは「ウェルタンク」、いわゆるボトムタンクの存在を示しています。
この写真は1972年5月に大井川鉄道で動態保存だった時のものです。デッキに上がってナンバープレートの拓本を取っているのは、中学3年生の私。同行の父が撮っています。この日活躍する予定でしたが蒸気漏れで断念。1275形だけが動きました。
ところでこの17、1970年大阪万博に展示されたり、競売にかかったり、マスメディアにしばしば登場した著名機の割には不遇でした。大井川鉄道の後一時行方不明、遠野で安住かと思ったら、流れ流れて那珂川清流鉄道に行き着きました。しかしその清流鉄道も活動を止めてしまったようで、スクラップだけは避けてほしい。本来なら九州鉄道記念館に収蔵しても良い機関車なのです。