2月19日、石ノ森キャラクターに癒された冬。
さて、マンガッタンライナーⅠをあらかた撮り回れた多賀城駅。
と言っても、着いてからここまで実は10分も経っていない。
前夜までの雪に足を取られないよう、慎重かつ大胆に。
短い時間で効率よく、限られた条件下で記録できたのは幸いだった。
平日かつ寒かったせいか他に同目的の人もおらず、穏やかでいられたことは大きいものがあった。
そういう部分、旅や鉄道活動そのものは平日に動くのは気楽なものがある。
そして、後続の高城町行きの到着を出迎え…と!ここで!
マンガッタンライナーⅡ、M2編成登場!
なんと偶然にも、2種のマンガッタンライナーの並びが実現!
最初で最後の並びの記録を、少々苦しめではあったが多賀城駅で収められた。
ところで、ここで敢えてⅡを見送って並びを存分に撮る、という案も一瞬頭を掠めた。
この日、石巻まで乗り通すことは既定事項ではあったものの、時間余裕はまだ十分あったからだ。
ただ…この日は最高気温が仙台3.9℃、石巻4.4℃。
終始晴れてこそいるものの、せいぜい2〜3℃台という寒さの中、ずっと外で撮影もキツかった。
それもあり、
多賀城から脱出。
ここからマンガッタンライナーⅡに初乗車である。
Ⅱの車内も、あちらこちらに石ノ森キャラクターが。
そして、Ⅰでは(何でだったか)見ていなかった製造メーカー銘板、そして改造銘板。
M2編成は2002(平成14)年に、当時の郡山工場で改造された。
クハ205に2WAYシートを装備した最初の編成である。
国鉄時代からあるものなのだろうか、独特なマークの入った希少なものである。
ところで、M8編成でも感じたが、車内の化粧板はだいぶ汚れ、草臥が目立っていた。
シートモケット交換や仙石線転用に関わる諸改造、更にATACKS搭載…といった改造を行ってきたが
基本的なシステム、さらに車内も更新されないまま走り続けてきた。
一部は埼京線からの転用もあるが、多くは山手線から移籍の初期車。
こうして製造から今年で40年を迎えた編成、車両も多く残されている。
しかしそれらは、いよいよここ1年ほどで淘汰される運命に。
既に今日、E131系800番台第1編成が新潟で試運転を行ったとの情報も入ってきた。
現実味を増した置き換えまで、残された時間は少ない。
特に6月末以降は週末パスも廃止となるし、さてどうやって記録を尽くそうか?
今後はそのあたりのバランスも考慮しながら、行動計画を策定していく必要もあろう。
と同時に、今までそんなに気にしたことがなかった仙石線界隈で記録できそうな駅、場所を探す。
何度も乗っているはずなのだが、不思議なほどに中間駅の記憶が薄い箇所が多い。
本塩釜なぞも、今回の旅で改めて初めてしっかり注目した駅である。
そして、本塩釜付近の高架線を走っている時、進行方向右側に塩釜港が見えてきた。
この日は、寒い以外は極めて穏やかだった海。
その海が、あの日、牙を剥いて襲いかかってきたのだ。
テレビから流れてきたその惨状を、ただ頭を抱えて見ているだけしかできなかった。
自然が、地球がもたらした災禍の前での人間、そして全ての生物は、極めて無力と思い知った日。
もしものシミュレーションは怠らないように善処するとはいえ、いざ目の前に襲ってきたら…
その葛藤を常に抱えながら、仙石線の旅を続けていく。
そして、複線区間の終点・東塩釜へ。
ちなみに、行き違いは駅ではあおば通行き発車のタイミングが早く撮れない。
このあたりのダイヤのギミックは、今後仙石線の記録再履修の際には重要になってきそう。
東塩釜駅は2面3線の中核駅で、折り返し列車も多数設定されている。
なお現行駅は築堤上だが、本塩釜駅付近高架複線化が行われた1981(昭和56)年11月1日に移転。
それまでは単線で行き違い可能な地上駅であったという。
そして、保安装置がATACKSからATS-Psに切り替わり、さらに東へ。
人造人間キカイダーと目が合った陸前浜田駅w
仙石線で唯一の利府町にある駅。
そして、あおば通から来て初の単線1面ホームの棒線駅である。
そして、小さなトンネルの上を跨ぐのは東北本線。
このあたりから、東北本線とは付かず離れずの絶妙な並走劇を繰り広げることになっていく。