(その3からの続き)
2日目の朝を迎えました。
いよいよ今日から本番です。
今日は天塩川温泉から音威子府市街を経由して、
中川市街の手前にあるポンビラアクアリズイングまで歩きます。
音威子府市街から佐久市街までは
筬島駅前を除いて国道40号を歩き続けるしかない無人地帯。
高低差はほとんど無いものの、補給ポイントもほとんど無い難所です。
予定歩行距離は43kmほど。
18年前は距離が長すぎると判断し、佐久駅前で宿泊しました。
7kmの差が18年前との違い…と言いたいところですが、
果たして日没までに到着できるでしょうか。
2日目・9月23日(日) 歩行区間:天塩川温泉-天塩中川 天気:晴れ
宿(7:32発)-咲来(8:19着)-
予定より少し遅れて天塩川温泉を出発。
まずは元来た道を戻ります。
天塩川を渡る橋の欄干に張られた蜘蛛の巣。
メーテルでなくても朝露がついた蜘蛛の巣は魅入ってしまう。
10分ほどで天塩川温泉駅前まで戻ってきました。
昨日は右側から歩いてきましたが、
今日はこの道を直進します。
周囲は一面の畑作地帯。
音威子府といえば音威子府蕎麦だけど、
このあたりで蕎麦を栽培しているのかな?
スタート時、周囲は霧に包まれていましたが、
次第に霧が晴れて明るくなってきました。
東京では残暑が続いていましたが、
スタート時点での気温は8℃!
同じ日、稚内市の沼川では1℃まで気温が下がったそう。
川沿いを歩きたいところですが、大回りになるのでここは直進。
スタートしたときはフリースを着込んでいましたが、
日が届くようになると急速に暖かくなってきました。
さらに少し進むと右に学校のような建物が。
その手前には広場がありますが、校庭のような雰囲気です。
こちらは咲来(さっくる)小学校の跡。
音威子府村は現在の咲来集落から開拓が始まったそうで、
この咲来小学校は音威子府小学校よりも先に開校したそうです。
その後、1986年に現在地に移転・改築されましたが、
2007年に廃校となり、現在は公民館として使用されています。
18年前はまだ現役だったはずですが、
そのときは国道回りで歩いていたため、小学校の前は通りませんでした。
さらに進み、国道からの道と合流したところで咲来市街に入りました。
周辺地区も含めた2020年時点での咲来地区の人口は63人。
近年音威子府村の人口は急速に減少しており、
それを加味すると現在の市街人口は30~40人程度か。
だいたいこのあたりが、咲来市街の中心部。
店だったと思しき建物や歩道はあれど、人通りはありません。
ほぼ同じ場所を撮った18年前の写真。
右手にある2階建ての建物は咲来公民館。
現在は取り壊されて、跡形もありません。
このときすでに市街人口は100人を切っていたと思われますが、
それでも市街らしい雰囲気があり、街路も整っていました。
中心部にもかかわらず、
見かける建物は廃屋ばかり。
2020年時点で、このメインストリートに住む住民はわずか2世帯だったそう。
突き当たりを右折して駅へ向かうと、駅前に黄色い建物。
こちらは元々日通の建物で、現在はライダーハウスとして使用されています。
18年前咲来駅を訪れた際、ここのご主人とお話しした記憶があります。
そこから反対側を向けば咲来駅です。
現在駅舎は無く、広めの待合室が駅舎代わりです。
18年前の咲来駅。
だいたい同じですが、待合室の換気煙突が無くなっています。
ホームは1面1線の単式です。
(その5へ続く)
天塩川温泉から咲来駅までのGPSログ(1/40,000)です。