▼前回の記事
3日目 2025年1月2日(木)
沖縄滞在3日目、そして早くも本日が最終日となります。
2泊お世話になったワイズキャビンをチェックアウトし、本日も那覇バスターミナルへ歩いて向かいます。朝の那覇市内の気温は17℃、雨模様で湿度が高く亜熱帯らしい気候です。
乗車するのは、8時40分発の54前川線 東風平・玉泉洞方面行です。南城市や八重瀬町方面をぐるっと回って那覇バスターミナルまで戻ってくるバスで、今回は玉泉洞前まで利用します。
正月早々ですがこのバスの車内は観光客が非常に多く、乗降にやや時間を要したこともあり那覇バスターミナルを2分ほど遅れて出発。私は昨日に引き続き「沖縄路線バス周遊パス」を利用していきますが、観光客の方の中にはSuicaやICOCA等の交通系ICカードが利用できないことに困惑する様子の方も見受けられました。
バスは南風原町・八重瀬町をかすめて南城市方面へと向かっていきます。鉄道駅がないので鉄道ファンの私としてはいまいち現在地が掴みにくいところですが、車窓にはずっと住宅地が続いており、恐らく那覇市内への通勤・通学も多いエリアなのでしょう。
9時19分、バスは玉泉洞前に到着。ここで私を含め、乗客の大半が下車しました。
バスの行先表示は「国場→那覇」へと変わっています。「渋谷・新宿方面」と書かれていた山手線に乗って新宿駅で降りたら行先が「池袋・上野方面」に変わっているようなものです。
さて本日最初の目的地はこちら「おきなわワールド」!
南城市にあるテーマパークで、名前の通り沖縄の自然・文化・世界観を五感で味わうことのできる観光施設です。あまり一人旅で訪れるような場所ではありませんが、何はともあれ入ってみることにしましょう。
入場料は大人2,000円。この入場料には「玉泉洞」の見学料金も含まれておりますので、まずは順路に従い中に入ってみます。
玉泉洞は全長約5,000mにも及ぶ国内最大級の鍾乳洞で、このうち約890mが一般公開されています。1972年に観光可能な鍾乳洞として整備されました。
洞内には炭酸カルシウムを含む地下水が果てしない年月をかけて形成したつらら状の「鍾乳石」が無数に存在しており、これらが時に「石筍」や「石柱」と呼ばれる地形をも造り出します。地下水は通路にも滴っており、そのでこぼこがはっきりと分かるほどです。
また鍾乳石のみならず「青の泉」「地煙の滝」などライトアップされた見どころも数多く、その荘厳な雰囲気は息をのむ美しさです。
玉泉洞で歩き疲れたら、洞窟を出た先にあるフルーツパーラーでひと休み。沖縄らしく、紅芋シェイク(700円)をいただきます。かなりのボリュームがあり、大満足です!
その先のエリアでは、豊富な体験ゾーンも。藍染め・紅型・紙漉き・機織・琉球ガラスなど、沖縄ならではの伝統工芸を気軽に体験することができるようになっています。登録有形文化財に指定された古民家がならび、琉球王国の城下町の雰囲気を感じることのできるゾーンです。
王国歴史博物館では、沖縄をはじめ世界各地のシーサー・獅子が並ぶ展示も。そのほか、ステージ上ではスーパーエイサーショー(撮影禁止)も開かれ、大迫力のショーを間近で体感することができました。
パーク全体を味わい尽くすには半日~丸一日ほど欲しいところですが、今回はあいにく弾丸旅程につきこの辺りで撤収します…!
玉泉洞前11時30分発の82玉泉洞糸満線 糸満バスターミナル行に乗車。玉泉洞前始発ですが4分ほど遅れての発車となりました。バス乗り場には他にも大勢の観光客が並んでいたのでてっきり皆さんこれに乗るかと思いきや、乗り込んだのは自分1人だけ。てっきり自分が間違えて回送のバスにでも乗り込んでしまったかと思いましたが、そうではありませんでした。約5分後に那覇市内へ直行するバスもあるので、そちらを待つ人が多かったようです。
バスは雄樋川(ゆうひがわ)の河口に向かって川に沿うように進み、国道331号線と交差する地点で右に曲がります。左へ曲がると斎場御嶽(せーふぁうたき)や知念岬などの観光地がありますが、今回は時間の都合上見送ります。
八重瀬町から糸満市に入り、11時50分に平和祈念堂入口へ到着。
続いて訪れるのは「平和祈念公園」です。
第二次世界大戦の終結から今年で80年。1945年当時、沖縄県では住民を巻き込んだ地上戦が行われ、多くの尊い命が奪われました。この公園は、その過去を決して風化させることがないようにと整備されています。
園内は約40haと大変広く、まず中央口より入ると見えてくる高い塔は「平和祈念堂」です。中には平和祈念像が安置されています。
こちらは「平和の丘」。沖縄県では、沖縄戦の終結した6月23日を「慰霊の日」と定めており、毎年ここで戦没者を追悼する式典が開かれています。
「平和の礎(いしじ)」には、沖縄戦により亡くなられた約24万人の氏名が刻印された碑が並んでいます。沖縄県出身者のみならず国内全土、さらには外国籍の方の氏名も多く、軍人・民間人を問わず刻まれています。平和の広場にある「平和の火」は沖縄県座間味村および広島市・長崎市の火を合わせたものが1991年から灯し続けられています。
また「霊域参道」には、都道府県ごとの慰霊碑が並んでいます。全都道府県があるわけではないようですが、私の地元神奈川県のものはありましたので、足を運んでおきました。
糸満では、平和祈念公園のほかにもう一か所訪れておきたい場所がありますのでさらに移動。平和祈念堂入口12時45分発の82玉泉洞糸満線 糸満バスターミナル行に乗り込みます。
8分ほど乗車し、12時53分にひめゆりの塔前へ到着。
平和祈念公園とならび、沖縄戦の歴史を今に伝える地として多くの観光客が訪れる「ひめゆりの塔」。米軍の本土上陸を阻止すべく沖縄では県民が戦場へ根こそぎ動員され、その一つとして那覇市内にあった「沖縄師範学校女子部」「沖縄県立第一高等女学校」の女学生および教師計240名が戦地で主に看護要員として動員されました。
のちに「ひめゆり学徒隊」と呼ばれることになる生徒は沖縄陸軍病院で負傷した兵隊の看護にあたるも、戦況の悪化に比例するようにその環境は次第に劣悪なものとなっていきました。過酷かつ不衛生な中での患者の世話は休む間もなく、十分な食料が与えられることもありませんでした。
1945年6月18日に学徒隊の解散命令が出されるも、行き場のない生徒の中には米軍に捕まるまいと自決に踏み切る者が多くいました。この一連の動員により240名のうち136名が亡くなり、その傷ましい歴史を今に伝えるべく「ひめゆり平和祈念資料館」が併設されています。
館内は撮影禁止で、当時の生々しい惨状の記録が数多く展示されています。目を背けたくなるような当時の証言などもありますが、それらも含めてこの国の歴史として、日本人なら一度は足を運んでおくべき場所だと実感しました。
1日目の夜にもキングタコスのタコライスをいただきましたが、何度食べても美味しいものです。
ひめゆりの塔前14時00分発の82玉泉洞糸満線 糸満バスターミナル行に乗車。2分ほど遅れてやってきました。これから那覇市内へ戻りますが、実はひめゆりの塔や平和祈念公園などがある沖縄本島最南端部から那覇市内へ向かうには路線バスの乗り継ぎが必要となります。
14時14分頃、やはり定刻より2分ほど遅れて糸満ロータリーに到着。終点の糸満バスターミナルまで乗車してしまうとうまく乗り継げないので、ここで下車します。
ロータリーを跨いだ先の乗り場へと移動し、糸満ロータリー14時16分発の89糸満線 那覇バスターミナル行へと乗り継ぎます。こちらは糸満バスターミナルを出てきたばかりのはずですが、既に定刻よりも3分ほど遅れ19分頃にやってきました。
バスは糸満市から豊見城市へと入り、やがて那覇市内へ。海岸沿いには大型ショッピングモールなどもあるようですが、今回はスルーします。
14時52分頃、赤嶺駅前に到着。定刻よりも5分ほど遅れての到着となりました。
こちらは2003年に開業した沖縄県唯一の鉄道「沖縄都市モノレール(ゆいレール)」の駅で、日本最南端の駅として知られています。那覇空港駅から1駅のところなので駅周辺にはホテルも多く、一般的な市街地にあるモノレールの駅という雰囲気ですが、駅前には日本最南端を示す石碑が建てられています。
旅も終盤、そろそろ空港へ向かうか…と思いきや、実はまだまだ時間がありそうなのでここから那覇市内を観光へ!
赤嶺15時21分発のゆいレール てだこ浦西行に乗車します。一つ手前の那覇空港から大勢の乗客が乗り込んでおり、当駅へ入線する段階で既に車内は超満員。スーツケース等の大きな荷物を抱えた乗客が多く、2両編成では明らかにキャパが足りていないという印象です。
沖縄県にはかつて「沖縄県営鉄道」や「沖縄軌道」などいくつもの鉄道路線が運行されていましたが、太平洋戦争の激化等により1945年までに全て廃止されています。戦後は長らく自動車社会が形成されていましたが、2003年に58年ぶりの鉄道路線として「ゆいレール」が那覇空港~首里駅間で開業しました。その後2019年に首里~てだこ浦西駅間が延伸開業を果たし、現在路線の総延長は17.0kmとなっています。
モノレールなので全区間高架で地上の交通の妨げとならず、沖縄の街を少し高いところから眺めることができるのも魅力の一つ。旭橋から牧志にかけて国際通りを回り込むように進み、さらにその先のおもろまちは「那覇新都心」の拠点駅としても知られています。
15時47分、首里駅に到着。2019年までは当駅が那覇空港からやってくる列車の終点でした。
なお今回は「沖縄路線バス周遊パス」に付随する「ゆいレール1日乗り放題」を利用して乗車しております。パスの有効期間内の任意の1日のみゆいレールが乗り放題となるもので、有人改札にてスマホ画面を提示することで紙のフリーパスと引き換えられるようになっています。
しかし今回、たまたま赤嶺駅でご対応いただいた担当者の方がこの「沖縄路線バス周遊パス」の取り扱いをご存じでなかったようで、いったん赤嶺~首里駅間を無料で乗せていただき、首里駅まで移動した後にようやく紙のフリーパスと引き換えることができました。本来はゆいレールのどの駅でも引き換えが可能なはずですが、対応の分かる方が限られるくらいには「沖縄路線バス周遊パス」の利用者が多くないことの表れなのだろうと感じました。
何はともあれ、首里駅に到着しましたのでここから少し歩いて「首里城」を目指します。
駅周辺は那覇市の市街地といった様子ですが、首里城までは歩いてすぐです。
1429年から1879年までの450年間、ここ沖縄は「琉球王国」と呼ばれる国家を形成していました。中でもここ首里は王都として栄え、王国最大の城(グスク)であったのが首里城とされています。
詳しい創建時期は定かではないものの、琉球王朝の初期頃であると考えられており、かつて王家の居城として使われてきました。これまで計5回ほど大火に見舞われており、そのうち3回は琉球王国の時代であったとされています。
1879年の沖縄県設置後には完全に城としての役割を終え、その後は高等女学校の校舎等として再利用されていました。しかし老朽化が激しくなっており、倒壊の危険もあったため1929年以後は国宝として国が管理を行うことになりました。
立派な正殿をはじめとする各種遺構は太平洋戦争時の沖縄戦により4度目の消失を経験するも、戦後1980年代に修復が進められ、再建された建築物群をもって1992年からは「首里城公園」(国営沖縄記念公園)として開園。2000年には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成遺産の一つとして世界文化遺産に登録されています。
入場料は通常大人400円ですが、ゆいレールのフリーパスを所持している場合は2割引となり320円で入場することができます。
そして記憶に新しいのは、2019年10月の5度目の消失。正殿・北殿・南殿が消失し、現在大規模な修復作業が行われています。正殿があったとされる位置には仮の倉庫が建てられていますが、その壁面には色鮮やかな正殿の絵が描かれています。
消失前の正殿はご覧の様子で、朱塗りされた建物に赤い色の瓦が使用され中国の文化の影響を強く受けたものとされています。
現在、敷地内では修復作業の様子を見学することができるようになっています。2026年秋頃の完成を目指し、作業が進められています。
小高い丘の上から眺める首里の街並みは健在で、これまた赤い瓦の建物も多く、その眺めは首都圏のものと大きく異なっています。2026年以降、修復作業が完了したらまた改めて足を運びたいと思います。
なお余談ですが、首里城公園近くにあるローソンの駐車場は、店舗を利用しない場合日中20分で3,000円とかいうとてつもない高額な料金設定になっています。自動車社会の沖縄とはいえ、市内観光はレンタカーではなくゆいレール・路線バスを利用することを強くお勧めします。
さて、首里駅に戻ってきました。せっかくゆいレールのフリーパスがありますので、終点のてだこ浦西まで乗車してみたいと思います。
というわけで、首里17時47分発のゆいレール てだこ浦西行に乗車!
2019年10月の延伸開業区間へと入ります。
激しいアップダウンを繰り返しながら、列車は那覇市を抜け浦添市へ。下を走る自動車が夕方に差し掛かり渋滞気味になっていても、ゆいレールには関係ありません。
10分ほど乗車し、17時57分にてだこ浦西駅へ到着!
「てだこ」は「太陽の子」を意味する現地の方言で、「浦西」は当駅の北側に広がる地域の呼称のようです。厳密には「浦添市西原」で、これを略して浦西と呼ばれているのかもしれません。なおややこしいことに、当駅のすぐ東側は浦添市に隣接する「西原町」という別の自治体があります。
18時を過ぎ、辺りも暗くなってきたところで明るく光る駅舎は何だか幻想的。駅前には迎えの車が列をなし、しばらくすると各方面へ散っていきます。
駅周辺にはイオンスタイル・ヤマダデンキ等が出店。浦西の住宅街は数百メートルほど北へ進んだところにあります。
短い時間でしたが、そろそろ帰りの飛行機の時間も迫ってまいりましたので移動することにします。
帰りはてだこ浦西18時10分発のゆいレール 那覇空港行に乗車。
しかし終点の那覇空港駅までは行かず…18時37分、旭橋駅で下車。
これから那覇市内で夕食をいただいてから、空港に向かいたいと思います。
沖縄でまだ味わうことができていないグルメ…そう、ステーキです。
人気のステーキ屋さんが旭橋駅近くにあるとのことで、沖縄に大変詳しいフォロワーさんにお連れいただいたのですが、あまりの人気に店内は大混雑。入店を待っていると飛行機への乗り遅れが確定してしまうので、他を当たるべく夜の国際通りへとやってきました。
入店したのは「SAM'S(サムズ)」。各テーブルに鉄板が設置されており、目の前でシェフの方がパフォーマンスを交えながら肉や野菜を焼いてくださいます。
最上質のテンダーロインステーキは食べやすいように小さくカットしていただき、やわらかくも肉々しさのある大満足の食べ応え。セットのカレースープ、サラダ、温野菜もどれも大変美味しく、またライスは550円追加でガーリックライスに変更することができます。このガーリックライスも抜群に美味しいので大変オススメです!
総額5,000円ほどととても贅沢なディナーでしたが、また足を運びたいお店です。
いよいよ飛行機の時間が差し迫ってまいりましたので、国際通りの最寄りである県庁前駅より、ゆいレールに乗車して那覇空港へと向かいます。県庁前20時20分発の那覇空港行に乗車、車内は思いのほか空いていました。
なお空港では時間的に土産物店が閉まっている可能性があるため(新千歳空港でやらかした経験あり)、国際通りで急いで購入。定番の紅芋タルトや雪塩ちんすこうのほか、バヤリース・さんぴん茶など飲み物も買っておきました。全て自分用です。
20時33分、那覇空港駅に到着。折り返し空港発のゆいレールは大変な混雑で、ホーム上で身動きが取れなくなりそうなほどでした。
ここで大みそかの夜から3日間同行いただいたフォロワーさんと解散。大変充実した旅になりました、本当にありがとうございました!
行きはスカイマークでしたが、帰りはANAを利用します。那覇空港21時20分発のANA478便 羽田空港行です。
ディスプレイにずらりと並ぶ行先は、そのほとんどが東京(羽田)。中でも21時20分発は、本日の東京行最終便とみられます。
ターミナルビル内には、こんな心温まる横断幕も。
これ、本当に3日間暖かかったです。例年寒さに凍えながらあちこちへ旅行するのが当たり前となっていましたが、今回は実に快適かつ充実した年末年始を過ごすことができました。
当然ながらほぼ満席のフライトで、2024年9月頃の予約で26,410円でした。安くはないですが、この繁忙期の中ではかなり頑張った方だと思います。
使用機材はB787で、各座席には充電用USBポートやモニターを設置。南の島に別れを告げます。
機内ではビーフコンソメスープをいただきながら、外の景色に目をやります。とはいっても相変わらずフライトの大半が太平洋上のため、ほとんど陸地は見えません。
ふとフライトマップを確認すると、早くも首都圏へ差し掛かっている様子です。時刻は23時、着陸態勢へと入ります。
今回の2泊3日の沖縄旅、大変時間が厳しい中ではありましたが、とても充実していたと実感しました。もちろん本島内で訪れることができていない場所もまだまだたくさんありますし、本島以外にも南西諸島には魅力的な離島がたくさん連なっております。是非また時間を作り、訪れたいと思います。
23時17分、東京 羽田空港に着陸。定刻(23時30分)よりも若干早い到着となりましたが、しかし横浜方面への終電が迫っているので速やかに降機し帰路につきます。
長くなりましたが、今回も最後までお読みいただきありがとうございました。