4月6日(日)、和歌山城と紀三井寺へ、花見に行って来ました。
和歌山へは、南海電車で、今回も、「和歌山観光きっぷ」を利用。難波駅から和歌山市駅までの、往復割引乗車券と、特急サザンの指定席、和歌山バス一日乗り放題(一部区間を除く)、協賛施設、店舗での割引特典が付いて、2600円(特急サザン座席指定席無しは2080円)とお得なきっぷです。
乗車した、難波7:45発、特急サザン3号は、12000系・サザンプレミアム車両で、大変快適でした。難波駅も和歌山市駅では、ホーム端一杯に停車しましたので、撮影は出来ませんでした。
和歌山城・岡口門
和歌山城・天守
和歌山城天守からの展望(西)
天守二の門
御橋廊下と天守
天正13年(1585)、羽柴秀吉が弟の秀長に命じて岡山(虎伏山)の峰に築城させたのが始まり。築城を担当した家臣の1人が後に、築城の名人といわれる、藤堂高虎です。同年、秀長の城代として桑山重晴が入り、秀長家が途絶えると桑山氏が城主となり、豊臣・桑山時代に山嶺部分や岡口の整備が行われました。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦い後、浅野幸長が入城すると、黒板張りの連立式天守を建て、現在の二の丸・西の丸に屋敷を造営し、居城として整備を進めます。大手も岡口から一の橋に変え、大手筋を基軸とする正方位の町割で、城と城下町の形が造られました。
元和5年(1619)、徳川家康の10男頼宣が入城し、55万5千石の御三家の1つ紀州徳川家が成立。二の丸西部・砂の丸・南の丸を増築し、ほぼ現在の和歌山城の姿となりました。明治・大正期を経て、昭和6年(1931)国の史跡に指定され、長く地元で親しまれて居ます。
城のシンボルである、連立式天守は、寛政10年(1798)に黒板張りから白壁に外観が一新されますが、弘化3年(1846)に落雷で焼失。その4年後に再建された2代目天守閣も、昭和20年(1945)に空襲で再び焼失。現在の天守閣は昭和33年(1958)に鉄筋コンクリート造りで再建された3代目です。
此の日は、天気が雨から曇りの予報でしたが、雨は朝方に止んで、良い天気に成りました。桜は、満開から、少し散り始めて居ましたが、充分に楽しむ事が出来ました。
昼前に、和歌山市駅へ戻り、駅直結の施設「キーノ和歌山 」の店で、昼ご飯を食べて、和歌山バスで紀三井寺へと向かいました。
「和歌山観光きっぷ」には、500円分のグルメクーポンが付いて居ます。
2063M特急くろしお13号・白浜行 287系HC602編成
357M普通・簑島行 227系SS10編成
和歌山市駅前から、バスで約50分。紀三井寺へ向かう途中、JRきのくに線の踏切で、しばらくすると、「くろしお」13号が通過しますので、少し撮り鉄。
紀三井寺は、今からおよそ1250年前昔、奈良朝時代、光仁天皇の宝亀元年、唐僧・為光上人によって開基された霊刹です。
為光上人は、伝教の志篤く、身の危険もいとわず、波荒き東シナ海を渡って、中国(当時の唐国)より到来されました。
そして諸国を巡り、観音様の慈悲の光によって、人々の苦悩を救わんが為、仏法を弘められました。行脚の途次、たまたまこの地に至り、夜半名草山中腹に霊光を観じられて翌日登山され、そこに千手観音様の尊像をご感得になりました。
上人は、この地こそ観音慈悲の霊場、仏法弘通の勝地なりお歓びになり、十一面観音菩薩像を、一刀三礼のもとに刻み、一字を建立して安置されました。それが紀三井寺の起こりとされています。
紀三井寺の桜は、散り始めで、所々に葉っぱが目立ってきて居ました。
「和歌山観光きっぷ」では、天然紀三井寺温泉での、入浴割引の特典が有りますので、温泉に入って帰る事にしました。
76M特急「くろしお」26号・新大阪行
温泉を出ると、直ぐ近の、線路沿いの公園に桜が咲いて居ましたので、「くろしお」と桜を撮影。
バスで、和歌山市駅まで戻り、特急「サザン」の座席指定席で、難波まで乗車して帰りました。