何処のサイトだか忘れましたが、「普通列車に何でグリーン車が連結されてるの?」という “素朴な疑問” が書き込まれていました。動画サイトだったかな? 結局はそれは観なかったし、 “素朴な疑問” に対する回答も知りません。今だったら「金払ってでも座りたい奴のための車両さ」と答えるんでしょうけど、昭和国鉄の頃はそうじゃありませんでした。

 

 

普通列車のグリーン車といって真っ先に思いつくのは東海道本線東京口(湘南電車~以下、「湘南電車」と表記)と横須賀線ですが、歴史上でも湘南電車と横須賀線のグリーン車(※)連結は遙か昔から実施されていました。湘南電車の場合はそれこそ「湘南型」80系電車が登場してからだと思われますが、横須賀線は戦前のモハ32系時代から既にグリーン車が連結されていました。

 

昭和国鉄時代において湘南電車と横須賀線にグリーン車を連結する理由は唯一つ。

 

「セレブのため」

 

です。

特急や急行のグリーン料金よりかは些かリーズナブルではありますが、普通列車といえど敷居が高く、また下々の利用客が乗り込む空気ではありません。

勿論、そんな決まり事は無いんですが、湘南電車沿線だと大磯辺りの、横須賀線沿線だと鎌倉、逗子(葉山)辺りから乗り込む乗客のためにグリーン車は連結されていたと言っても過言ではありません。

乗客の層はそのどれもが蝶ネクタイが似合いそうな格式高い金持ちの方々ばかりで、また乗務員も “選ばれた優秀な人” が乗客のお世話をしていたとか。令和のアテンダントの比ではありません。

乗務員と乗客はだいたい「決まった人」になるから、顔見知りにもなります。

 

会社だと、専務、常務、部長クラスに乗車する権利があり、運転手付きの車で出勤しない社長や社長夫人もこの中に含まれます。あとは何処かの媒体に書かれていましたが、ええとこのおぼっちゃま。三田にあるご令息・ご令嬢御用達の某K学校にお手伝いさんと一緒に横須賀線のグリーン車に乗って、お手伝いさんは品川で乗り換えて田町まで帯同したそうです。帰りは普通車両に乗り込むわけですが、夕方のお迎えは朝と逆パターンで、田町まで普通車両に乗り、おぼっちゃまを迎えた後は、品川からグリーン車に乗り込むことになります。

 

芸能人だと、その頃葉山に居を構えていた石原裕次郎氏は逗子から大勢の子分を引き連れて横須賀線のグリーン車を “占拠” していたという都市伝説があり、映画監督の大島渚氏は当時住んでいた辻堂(多分、辻堂が最寄り駅)から夫人の小山明子氏とともに湘南電車のグリーン車に乗って東京まで仕事に行くというルーティーンがあった草。

 

東北、高崎、常磐、中央線にグリーン車が連結されなかったのは、湘南・横須賀線沿線に比べて格式高くなかったから?

115系にもグリーン車をラインナップに加える計画があったようですが、気がついたら雲散霧消しています。ただ、東北、高崎、常磐線の中電には、急行用車両が間合いで普通列車に充当することがあり、グリーン車については無料開放だったような記憶があります(グリーン料金取ってた説もあり)。

首都圏以外でも関西圏では京阪神快速にグリーン車が連結されていましたが、いつぞやこのコーナーでもお伝えしたことがあったように、車内はガラガラ。湘南電車と横須賀線のグリーン車は「乗客層の空気が違う」のに対し、京阪神快速のグリーン車は「ただ空気を運んでいるだけ」の様相を呈していました。

 

昭和55年10月から横須賀線との兼ね合いで総武線快速にもグリーン車が連結されるようになりますが、総武線サイドとしては「別にグリーン車はね・・」という感じでそんなに乗り気ではなかったそうです。大阪同様、千葉もまた、「金払ってまで・・」というクチの乗客が多かったみたいですが、いざ連結されるとたちまち満席になって、「さすが千葉、建前と本音は違うね」って随分言われましたよね。

 

21世紀のグリーン車は金さえ払えば誰でも乗れる「有料着席サービス」に成り下がった感があり(だから東北線、高崎線、常磐線、中央線にグリーン車が連結されたようなもの)、昭和国鉄の時代とは趣が全く異なるように思えますが、何駄感駄言いながら、私自身もこの恩恵にあずかっているのだから、批判は出来ません。

 

※・・等級制の兼ね合いで昭和35年までは二等車、それ以降は一等車となりますが、記事の上では「グリーン車」と一括りさせていただきます。

 

【画像提供】

フ様