続・保存機関車巡り

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いったいいつ頃から静態保存機関車を巡るようになったのだろうと古いネガやポジを見ていると、1980年夏の九州撮影行のときが初めてのようだ。当時も今もそうなのだが、静態保存機関車それ自体を目的に訪れるということはごくごく稀で、大抵は撮影行の途上で立ち寄るというパターンである。しかし、単に立ち寄りましたという証拠写真的に撮るのではなく、機関車とじっくり対面し吟味しながらアングルを探るというやり方は昔も今も変わらない。

 

1980年九州撮影行の九日目。前夜西鹿児島から乗車した急行かいもんを06:32着の黒崎で下車、06:52発の急行日田に乗り換えた。この列車は直方から筑豊本線・鹿児島本線を経由して小倉から日田彦山線に入り、日田に至る。乗車したキハ66は初乗りであった。08:07に後藤寺着。ここでこれまで一緒だった鉄研の友人と別れ、僕は下車して直方に行ってみることにした。この日も朝から太陽がジリジリと照りつけ、旅も九日目となって疲れが溜まってきていて、ガツガツと鉄チャンするのはしんどいなと思っていた。それと、旅行資金の底が見えてきて預金をおろす必要があり、銀行の支店が直方にあるということもあった。直方には09:03に着いた。渋い街並みに心打たれつつそぞろ歩き、途中銀行で預金を引き出してから、石炭記念館に向かった。石炭記念館には2台のSLが屋外展示されていた。

↓一生を九州で過ごしたC11 131号機。同機はその後荒れるにまかせていたが、地元の鉄道愛好団体により修復作業が行われ、美しさが蘇った。(下2点はいずれも1980.7.24に撮影。カラーネガフィルムの劣化をお許し願いたい。)

↓貝島炭鉱で働いていたコッペル社製の32号機。前照灯の庇が渋い。同機も上に記した団体により修復作業が行われた。このような取組には本当に頭が下がる。

写真を撮るには周りがスッキリしていなかったり、光線状態が悪かったりと、撮影条件は決して良くはなかったが、ウンウン唸りながらなんとか撮影した。その後は12:57発の筑豊本線845Dで原田に出て、今晩の宿となる熊本の松鶴ユースホステルを目指した。

 

1992年の3月に山口線を訪れた際には、山口市内にある県立図書館に立ち寄った。ここにはD60のトップナンバーが保存されていて、しかも保存されている場所には高い柵がなく、背後の木々も相まって、とても雰囲気が良いということを知り、是非とも行ってみたいと思っていた。当該機は集煙装置を備え、前照灯がシールドビームであるなど原型からほど遠い外観であったが、D60の保存機はとても珍しく、645判まで取り出して撮影したほどである。

↓田代トンネル通過対策として装着された集煙装置もこのタイプだと急勾配区間の運用機らしくて、意外と気にならない。(下2点はいずれも1992.3.20に撮影)

 

翌年には倶知安で二つ目のキューロクを撮影した。5月の大型連休にC62 3を撮りに渡道した際、最終日に復路の小樽行を撮ることは帰りの航空機の時間からして無理、かといって往路のニセコ行を撮ってすぐに空港に駆けつけると時間が余りすぎるということで、倶知安町役場近くの文化福祉センターに保存展示されているキューロクを訪れることにした。キューロクは羊蹄山を望む位置に置かれていたが、両方を一つの画面に写し込むことは建物が邪魔をして無理だった。それでも二つ目のキューロクが撮れたことに満足して、現場を離れた。

↓倶知安町文化福祉センターの79615号機。同機は新製以来一貫して道内で活躍、晩年は倶知安機関区に配置されて岩内線で運用されていた。画面右手に羊蹄山の稜線が見える。近年の状況をネットで調べると、劣化荒廃が進み、かなり悲惨な状態のようで心が痛む。(下2点はいずれも1993.5.5に撮影)

その後も時々、というより、気の向いたときにではあるが、静態保存車両巡りを続けている。機関車だけでなく電車なども訪ねているので「車両」と記した。機会があれば、海外も含め今後とも投稿していきたい。