
サロンカーなにわ
京都鉄道博物館にて開催された″サロンカーなにわ特別展示″その3です。
今日は4月6日と言うことで、戦艦大和の記事と抱き合わせとなっています。
ます前半は、連載を完結しなければならないので、サロンカーなにわを優先で記事としました。
冒頭の写真は、C57-1号機とC56-160号機の重連姿のやまぐち号が、京都鉄博に掲げられているので、合わせて撮ってみました。



サロンカーなにわもマイテ49も、かつてはSLやまぐち号として走ったことが、過去にはあった車両です。
これはちょっと、記念として撮っておきたい写真です。
さて、前回の記事では、サービス電源用のディーゼルエンジンですが、台車の説明を優先するために、端折ってしまいました。
なので、まずはそこから始めたいと思います。


14系客車は寝台車と座席車があり、寝台車編成のディーゼルエンジンはDMF15HS-G形とDM82形発電機(180kVA)を組み合わせ、三相交流440Vを発生しました。
自車を含めて5両分の給電能力があるのですが、基本6両で1単位なので12両編成の特急列車だと4両の緩急車が必要となります。
この6両に食堂車を含む場合は、給電能力は4両分となるのですが、座席車編成の場合はDMF15HZ-G形によるDM93発電機(210kVA)を搭載し、緩急車1両当たり自車を含む6両に給電可能となっています。
これは寝台車編成よりも座席車編成の方が設計が新しいため、高性能な機器を搭載できたことと、座席車向けの食堂車は製造されなかった故 、過剰電源とならないよう製造されたためです。




よって寝台車の緩急車はスハネフ14の1形式しかありませんが、座席車にはスハフ14とオハフ15の2形式で、編成の両端で組んでいます。
ところが先行のサロンエクスプレス東京、そしてこのサロンカーなにわでは、食堂車でもビュフェでもないものの。
下関側の緩急車は展望車にラウンジ・スナックの設備を搭載し、基本7両編成で運転されるために、寝台車編成と同様に両サイドへサービス電源用のディーゼルエンジンを懸架しています。
近年、フル編成の運転ではなく、5両での運転が多いのは、DD51形機関車の牽引定数や、乗り入れ線区の両数制限の関係ばかりでなく、2両のディーゼルエンジンの内、1両は稼動させなくて済むことに起因するようです。



車齢が50年を越えることから、そろそろ引退の声が囁かれていますが、もし生き長らえたらディーゼルエンジンはバイオ燃料で、駆動することになります。
昨日のキハ40系の記事でも記しましたが、エンジンの改造は必要無いので、サロンカーなにわにも新しい風が吹くことになるのですが、さて次の重検はどうなるのでしょう。
とても気になるところです。
と、サロンカーなにわのスロフ14とオロ14から、一緒に展示されたオハ46とマイテ49に沿って、グルッと一周撮り歩きしてみました。
室内の展示なのだから、マイテ49のカーテンは締めたままでなくて良いのではないか?と思いつつ、オハ46の窓越しにサロンカーなにわを撮ってみました。
1925☆☆☆昭和100年記念☆☆☆2025 |
1945☆☆☆戦後80周年記念☆☆☆2025 |
|
戦艦大和の命日
このブログも今年で18年となり、アメブロ以前のウェブログを含めると、24年7ヶ月となります。
人間の一生から鑑みて長い歴史と言っても過言ではない約25年は、日本人の平均寿命から見ても、男女混合平均 84.07歳の内の約25年。
還暦を迎えている私の年齢から見ても、半分には届いていないものの、長きに渡っていろんなことを認書めてきました。
そんな中、かつては戦艦大和の月命日なるシリーズもUPした時代もあり、日本を守るために散って逝った魂に、慰霊の感謝を記してきました。

今年は昭和100年、そして終戦80年の年なので、1回限りの″戦艦大和の命日″の記事を復活させました。
しかし今日の話題は、呉市の最新の話題を記そうかと思っています。
大和については、これまでの月命日シリーズで大変多く語っているので、戦艦大和が建造されたかつての海軍工廠の行く末のお話しです。
呉と広に広大な敷地を占拠していた、日本の軍産複合体は戦後、民間企業へと払い下げられました。
呉の海軍工廠と軍需産業の一帯は、民間造船ドックと製鉄所へと姿を変え、一部に海上自衛隊の基地が残された形になっています。
民間造船ドックは現在、呉造船所 → 石川島播磨重工業(IHI)呉工場 → ジャパン マリンユナイテッド呉工場となっています。
尚、戦艦大和が建造された造船船渠は世界最大のドックでしたが、戦後になると手狭な設備となってしまったため、1993年に埋め立てられ跡地は工場として再利用されています。
呉工場での自衛艦艇の建造は行われていませんが、艦船の法定検査や修理は施工している現状です。
製鉄所は少し、その歴史を語ります。
1908(明治41)年に大阪で発足した田中亜鉛鍍金工場は、平炉・分塊・圧延の設備を整えて広幅帯鋼へと生産を拡大して行く中で、日亜製鋼と社名を改めます。
1911(明治44)年に同じく大阪市で発足した亜鉛鍍は、冷延薄板・亜鉛鉄板、ステンレス冷延薄板へと業容を拡大し、その後、日本鉄板と社名を改めました。
戦後、戦艦大和を建造した呉海軍工廠跡地に、日亜製鋼が平炉工場を建設し、呉製鉄所が1951(昭和26)年に創業開始となります。
1953(昭和28)年に熱延工場が完成し、広幅帯鋼の生産を開始し、1959(昭和34)年に日亜製鋼と日本鉄板が合併して、日新製鋼が誕生しました。

日新製鋼となって1962(昭和37)年に第1高炉を建設し、銑鋼一貫製鉄所の体制を構築し、日本の高度成長期や造船事業、鉄道事業や自動車産業などを支えました。
高炉とは鉄鉱石から鉄を取り出し玉鋼を造るための溶鉱炉で、製鉄業務を行うための心臓部分であり、製鉄所のシンボルです。
日新製鋼はその後、2017(平成29)年3月に新日鉄住金の子会社となり、2019(平成31)年1月に100%子会社となります。
そして2020(令和2)年4月1日付で日本製鉄と合併し、呉製鉄所は2021(令和3)年に高炉の火が落とされ鉄源設備を休止し、2023(令和5)年9月末を以て熱延・酸洗含めて全設備が停止され、現在は解体作業が進められています。

呉市の経済を直撃した巨大雇用主の喪失は、くしくも戦艦大和の乗員とほぼ同じ約3,300人で、その影響は広島市など隣接行政にも波及し、広島県全体の経済を不活性化へと陥れました。
しかし、ここに80年の時間を越えて、工廠が戻って来るかも知れない•••••••,そんな未来が描かれつつあります。
防衛省が、この「日本製鉄瀬戸内製鉄所呉地区跡地」への複合防衛拠点の整備案を巡り、2026(令和8)年度予算案に跡地約130haの取得費を盛り込む方向で検討していることが判明しました。
複合防衛拠点の整備案とは防衛省が2024(令和6)年3月に発表した、呉市の日鉄呉の跡地を一括購入し、装備品の整備・製造基盤・部隊活動基盤・港湾の3機能を備える計画です。

2025(令和7)年度から航空測量と整備施設の具体的な検討を進め、日鉄と売買条件を詰める予定で、跡地について防衛省は早期の一括購入を希望しています。
3月31日にあった防衛省、広島県、呉市、日鉄の4者協議で日鉄も、具体化に向けた防衛省との協議に前向きな考えを示しました。
防衛省は2025(令和7)年度予算に調査費4億6千万円を計上し、施設の配備や規模を検討することとしています。
併せて、土地の評価額を算出し、地下の埋蔵物や土壌汚染の処理といった売買条件の交渉を進める方針です。

日鉄と夏までに合意できれば、2026(令和8)年度予算案の概算要求に、取得費を盛り込む考えだとも伝わります。
4者協議では拠点の機能配置も提示していたそうです。
跡地を12エリアに分け、防衛装備庁の研究施設と民間企業の ①無人機の製造・整備施設 ②市民に開放する運動場 ③大型の艦船が接岸できる岸壁 ── などの計画を記した青写真。
一方、広島県と呉市は跡地を産業用地として活用する案も検討し、エネルギー・デジタル・造船の3分野を候補に挙げています。

政府は2025(令和7)年度当初予算に防衛費を過去最大の8兆7千5億円を計上しています。
2027(令和9)年度までの5年間で約43兆円を投じ、関連経費と合わせて国内総生産 = GDP比2%とする目標を掲げているのですが。
21世紀の軍産複合体のような悪い影響力を持つような、実態の無い権力組織と化すようなこととはならないと思われます。
それよりも省県市そして民間企業のバランスの取れた、未来志向型の工廠が完成すれば、それは新たな雇用が生まれるばかりか。
観光産業としても充分に対応ができる都市として、今まで以上の成長と昇華が期待され、隣接する広島市や三原市など、相互作用で広島県全体の活気に勢いつけられるパワーが訪れます。
現在のマリアユナイテッドのように、軍事機密及び産業機密の観点から、オープンにできない部分が大多数を占めることとはなるのでしょうけれど。
現在、江田島の旧海軍兵学校 = 現 技術学校では海上自衛官に交ざって陸上自衛官が、陸自艦群の訓練が行われています。
空母の登場により航空自衛官と海上自衛官の共同作戦が遂行されることが仮定され、陸自艦群の登場によって、陸海空の連合艦隊が防衛任務に就く日も近づいています。
呉の総合設備力の盤石性を高める必要も大きいところと感じますが、省県市と民間企業の折り合いがつき、日本の最先端重工業地帯となるには、まだまだ先の話しとなります。
それでも遠くない未来には、隣接市にとどまらず、近隣県へもその経済効果が波及すると思われます。
それは明るい未来なのか、再び戦禍に巻き込まれる未来なのか、それは図れる由もありませんが、期待に胸が高まるようなドキドキ感は、間違いなく今ここにあることは確かです。
未来における戦争は否定しなければなりませんが、先人たちが礎となった未来の日本を、今の私たちが守っていかなければならない•••••••,それもまた事実です。
今日は4月6日•••••••,戦艦大和の命日です。
このインスタグラムは松本零士さんが星の海へ旅立たれた時、追悼としてUPした作品の1つです。
松本零士さんの代表作の1つ「コクピットシリーズ」から、戦艦大和と零戦が水平線を向いているイメージです。
男たちの大和で反町隆史さんが演じた森脇二主曹のセリフ「(家族を)守ってやりたい」のイメージでもあります。
先人たちの命の礎の上に、今の私たちの平和な暮らしがあることを、未来永劫に忘れてはなりません。
| ・ | | ・ |  |