旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

Column:「銀釜」とともに去っていった「角目」のEF81【中編】

この記事は約6分50秒で読むことができます

広告

《前回からのつづき》

 

blog.railroad-traveler.info

 


 EF81形450番台の大きな特徴は、やはりその前面デザインといえるでしょう。
 構体の基本的な構造は国鉄時代に製造されていた0番台と同一で、EF65形などにも見られる非貫通構造そのものでした。高い位置に設けられた細めの前面窓は、中央部にピラーとなる部分を境に左右に分かれ、側面に回り込む「パノラミックウィンドウ」を配していました。
 通常であれば、その前面窓の上には前部標識灯としてシールドビーム灯が左右に1個ずつついているのですが、450番台にはそれがありませんでした。そのため、おでこの部分が「のっぺり」とした感じになっていました。
 その一方で、前部標識灯は後部標識灯と一体化したライトケースに収められ、前面下部の手摺のすぐそばに左右1組ずつ取り付けられていました。ライトそのものも角形に変わったことで、その印象を大きく変えました。また、車両の形式番号は、従来は前面中央部に取り付けられていたものが、機関士席側の窓下に移され、書体も国鉄時代のものとは異なるものが採用されるなど、国鉄形とはいえ僅かな変化でしたが精悍な顔つきになったのでした。
 こうしたスタイルの変化は、若かりし頃の筆者にとって、JR貨物はもはや国鉄とは違う鉄道事業者だという認識を新たにし、新しい時代の車両を感じさせられたものでした。
 もう一つ、同じEF81形でも450番台に大きな変化を感じさせてくれたのは、車体に施された塗装でした。国鉄時代は交直流電機には赤13号、いわゆる「ローズピンク」一色で塗ることが定められていましたが、JR貨物はこのリピート・オーダーの電機には、ライトパープルを地色とし、上部は濃淡のブルーを、前面窓周りは黒とする、いわゆる「JR貨物色」と呼ばれる塗装にしました。
 同じ形態の車両でも、ここまで変わるともはや「別物」といってもいいものでした。
 この塗装は直流機でもあるEF66形100番台や、その後に実施された更新改造を施工されたEF65形などにも広がり、JR貨物保有する電機の「標準色」となっていったといえるのです。

 

門司機関区の出庫線で発車の時を待つEF81形451号機以下4連。写真では分かりづらいが次位にはローピンに塗られてしまった「銀釜」の301号機の姿も見える。非公式側から見ると分かるように、助士席側の側窓下には冷房装置のルーバーがある。電機の運転室内は狭く、その割には機器室から漏れ入ってくる排熱によって、たちまち室温が上がってしまう。特に夏季はそれが顕著になり、機関士の乗務環境はけっしてよいとは言えなかった。実際に、筆者も添乗したときにはあまりの暑さに驚かされた。小さいながらも冷房装置が設置されたことは、旅客列車と比べて過酷な乗務であり、機関士にとっては大きな進歩だったといえる。(EF81 451〔門〕 門司機関区 1991年7月 筆者撮影)


 ただ、直流機も交直流機も同じ塗装になってしまったことで、一つの問題が浮上したようです。それは、従来は車体の塗装の違いで電気方式を識別していたのですが、それが困難になってしまったのです。そこで、機関士が出入りする乗務員室扉の塗装を変えることで容易に識別できるようにし、直流機は「カラシ色」、交直流機は「ローズピンク」にしたのでした。
 EF81形450番台の変化は外観や塗装だけではありませんでした。
 運転室内も国鉄時代に製造された車両は、壁面に淡緑3号(ミストグリーン)、運転台機器には灰緑3号(スレートグリーン)といった緑系で塗装されていました。どちらかというと暗い色なので、車内もまたどこか薄暗さを感じさせたものでした。しかし、450番台ではこのグリーン系の塗料を使わず、壁面にはクリーム色系を使い、計器類などの運転台機器にはブラウン系で塗装されたことで、運転台機器に大きな変化はなったものの、従来のものと比べて明るい印象になりました。
 運転室内の間取りも若干変更されていました。もっとも大きな変更は、従来の車両は機関助士が乗務することを考慮して、助士席側にも座席が設置されていました。しかし、国鉄時代に機関助士そのものが廃止され、貨物列車は原則として機関士だけの一人乗務、いわゆるワンマン化されていたので、機関助士用の座席は必要なくなっていました。そこで、この座席を撤去したスペースに小型の冷房装置を設置し、夏季における機関士の作業環境の改善を図ったのでした。そして、冷房装置からの排熱をするためのルーバーが、助士席側の側窓の下に設置されていました。

 

同じく発車を待つEF81形451号機を公式側から撮影したもの。基本構造や設計は0番台と同じだったが、前部標識灯と後部標識灯を角形にして、一体型のライトケースに収めた上で、全面下部にそれぞれ1個ずつ設置したことで、イメージは大きく変わった。また、車両番号もEF66形100番台に倣って機関士側窓下に寄せて設置、飾り帯もなくなりすっきりとしたものとなった。側窓の下にはJRマークとその下には小さく「FREIGHT」の切り抜き文字が取り付けられ、少なくとも鉄道マンになりたての筆者には「時代が変わった」ことを印象づけられた。(EF81 451〔門〕 門司機関区 1991年7月 筆者撮影)


 もちろん、これを見たときには「すげー!」と声を上げたものです。
 この機関車への冷房装置搭載は、長年の大きな課題だったといいます。国鉄時代は、冷房装置はいわば「贅沢品」と見なされる傾向にあったようで、これを標準で装備するのは客室窓が固定されていた特急用車両であり、言い換えれば優等列車のための設備でした。こうした考え方だったことから、普通列車に使われる近郊形はもちろんのこと、通勤形に装備させるなど論外であり、窓の開閉が可能な急行形ですら冷房装置は設置されていませんでした。
 ところが、大手私鉄が通勤形電車に冷房装置を設置し、接客サービスを向上させていくと、国鉄としてもそのまま見過ごすことはできなくなり、急行形電車に冷房装置を設置したことを皮切りに、近郊形や通勤形にも順次冷房装置を設置する改造や、新製された車両には当初から設置するようになりました。
 とはいえ、結局は国鉄時代に冷房化率100%を達成することはなく、この課題は新会社に委ねられることになります。

《次回、この稿は4月13日に投稿予定です》

 

あわせてお読みいただきたい

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info

blog.railroad-traveler.info