2月21日金曜日、さらに記録は続く。
続けて降りたのは、鎌ヶ谷大仏駅。
ここで8800形8813F復刻塗装編成を捉えた。
鎌ヶ谷大仏の駅名は、小学生の頃に初めて知った。
地元で母がお世話になっていたご夫婦が近くに転居したものの、転居後しばらくしてご主人が急逝し
家族と縁があった地元の方と4人で、お線香を上げに行ったことがあったからだった。
それが確か1989(平成元)年頃の話だったかなと思う。
もっとも、その時は車移動だったし、北総開発鉄道2期区間もまだ開通していなかった頃。
北総開発鉄道が松戸まで乗り入れていた頃だったが、事が事だけに見に行ってなぞいない。
実際に撮ったり乗るようになるのは、1995(平成7)年に高校に進学してからである。
200形の引退は鉄道誌で知ったが、その頃は旧800形も8000形も健在。
既に最大勢力だった8800形は、この塗装でバリバリ走っていたものだった。
エリア柄そんなに利用する機会はなかったものの、時折ポコっと記憶の片隅にいた準大手私鉄。
八柱から武蔵野線新八柱に乗り換える時に、昔の会社で研修を共にした人にバッタリ会ったとか。
その前の乗った理由が記憶に無くて未だに悶々しているとか、そんな思い出がある路線。
京成グループだったら統合しちゃえばいいのに、とも何度か思ったことも今更白状しておく。
でも、まさか、本当にそうなるとは思わなかった。
妄想のまた妄想、くらいにしか思っていなかったことが起こるのも、また奇なるものである。
そんな新京成電鉄、改め京成松戸線。
もう少ししたら、京成カラーの電車が走り回るようになるのだろう。
その移り変わりを、しかと見届けていきたい。
この日は復刻塗装編成8813Fに乗り、さらに京成千葉線へ。
少しばかり、京成千葉線を走る8800形の走りを堪能し…
幕張駅へ。
幕張界隈で、新京成電鉄車はわりと身近な存在だったように思う。
その20年近くの風景が、また変わろうとしている。
走る車両はしばらく変わらないものの、再度の塗装変更がどう影響を及ぼすのだろうか?
そしてこの日最後は、薬園台駅へ。
周囲の地名は住居表示実施時に、一部を除き薬円台になっているが…
駅名は変わらないまま、京成松戸線への移管を迎えている。
この薬園台駅は島式ホームで、こちらの津田沼側で少し定点撮影を敢行。
復刻塗装編成も、ここで。
また、日中はパターンダイヤ上、上下列車がギリギリ並ぶことも。
タイミングが合えば、レアな編成同士が並ぶなんてこともあるかもしれない。
そして、さっき幕張までお供した8813Fの到着をもって、旧新京成電鉄の撮影を締めた。
急いで京成津田沼行きに乗り込み…
京成津田沼で、接続を取った京成3500形ちはら台行きと並ぶ姿が新京成時代最後のカット。
実のところ、3月中にあと1〜2回訪問を企んでもいたが…
新たな視点を得てそちらに動きを変えた事で、再訪問しないまま移管を迎えた。
それでも、大きく歴史が動いた時期に居合わせられたことはまた得難い財産となった。
78年の波乱万丈な時代を経て、新たな時代へまた力強く踏み出していく。
京成松戸線はもちろん、京成電鉄全体をこれからも引き続き見守っていきたい。
初めて乗ってから35年、激動の時代を見つめ続けてきたスタンスはこれからも!