先日、某動画サイトで「1980年代の東海道本線」を観ていて、113系や貨物列車に混じって東京へ急ぐブルートレインの姿も映っていまして、それで今回のテーマを思い立ったんですが、やっぱり×10、ブルートレインは良いですよねぇ~。
今のJR各社はそれぞれ独自の道を歩んで混ざろうとしないし、よしんばこういった長距離列車を走らせようにも、行く先々でJR東海と第三セクターが行く手を遮ったりしますので(走らせられないわけじゃないとは思うんだけど)、もはやブルートレインの復活は夢物語になります。そういう意味で、全国組織だった国鉄は良いか悪いかは別として、柔軟且つ弾力的な対応は出来たんですよね。
そういえば、EF65PFも3月のダイヤ改正で事実上、 “卒業” したと何かの媒体に書かれていましたが、昔は東京発着のブルートレインを牽引した25両のみが「スター」だったのが、今は残っているPF全機がスターだったりします。まぁ、別に貨物列車を牽引するPFはあまり興味はありませんが、今の撮り鉄にとってJR貨物の機関車が目立つ昨今、やはりEF65のオーラはそこそこあるんでしょうね。もっとも国鉄時代、ブルートレインを牽引していた25両のオーラとは比較になりませんが。
「はやぶさ」は新幹線というイメージが今は強いけど、我々の世代はやっぱりブルートレイン。
「富士」が宮崎止まりになってからは「はやぶさ」が孤軍奮闘で鹿児島まで乗客を運んでいました。まぁ、「富士」が東京-西鹿児島間を1日超かけて走るのに対し、「はやぶさ」は22時間ですから、少しでも早く鹿児島へ行きたい乗客は「はやぶさ」を選ぶんでしょうけど、それでも1日潰れるので、さらに早く鹿児島へ行きたい乗客は新幹線「ひかり」+「有明」を選ぶのは自然です。
昭和55年10月改正のデータですが、「はやぶさ」は東京駅を16時45分に発車し、西鹿児島には翌日の14時49分に着きます。
「ひかり」+「有明」だと、朝イチ(6時発)の「ひかり21号」が博多着12時45分、13時05分発の「有明13号」に乗り継げば西鹿児島は17時51分着。その日のうちに鹿児島には行けますがそれでも約12時間。
あと、「ひかり」で新大阪まで行って、いわゆる「関西ブルトレ」に乗り継ぐという手もあります。
東京を15時に発車する「ひかり11号」に乗って新大阪に向かい(新大阪着18時10分)、18時25分に発車する「なは」に乗り継げば、西鹿児島着は朝の8時38分。時間的に現実的なのは「ひかり」+「有明」ですが、朝から行動したい人は「ひかり」+「なは」かもしれません。どっちにしても「はやぶさ」はちょっと劣勢気味だし、「富士」同様、西鹿児島まで通しで乗る人はそんなにいなかったのでは? 今の私の感覚だとせいぜい博多か熊本までが限界ですね。
究極の選択肢は航空機ですが、その頃の一般庶民感覚だと、航空機はあまり現実的じゃなかったことを付記しておきます。当時の鹿児島空港から鹿児島市内までのアクセスは劣悪だったようですから・・・。
【画像提供】
ウ様
【参考文献・引用】
時刻表 1980年12月号 (日本国有鉄道 刊)