新京成電鉄の乗車券類~2 社線内 2等級制時代 | 菅沼天虎の紙屑談義

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交通機関を利用する為の切符・・・一般の方々にとっては使い終わってしまえばタダの紙屑で、最後は係員に渡して終わりになるモノです。
そんな紙屑に夢中になってしまった大馬鹿モノの戯言にお付き合い下されば幸いです。

新京成電鉄の乗車券類の2回目で、今回は社線内の2等級制時代の券をご紹介いたします。

 

昭和38年2月に藤崎台駅で発行されました、「藤崎台↔京成津田沼」の相互式乗車券です。

 

 

2等券となって、地紋はJPR/てつどう青地紋券となりました。

 

昭和28年11月1日に前原~京成津田沼間が開業した際に、初代の「新津田沼駅」を移転して二代目の「新津田沼駅」が開業しましたが、国鉄津田沼駅への連絡が初代の駅よりも遠くなった事で苦情が多かったそうで、昭和36年7月1日に初代の駅の場所に三代目の「新津田沼駅」が前原からの支線の終点駅として開業し、この時に二代目の「新津田沼駅」が「藤崎台駅」に改称されました。


昭和43年5月14日に現在の「新津田沼駅」が四代目の駅として開業する際に、線路が現在のルートに変更され、「藤崎台駅」を通るルートは駅を含めて廃止となったため、新京成電鉄では唯一の廃止駅となりました。

 

 

 

 

 

昭和44年4月に北習志野駅で発行されました、「北習志野↔三咲」の相互式乗車券です。

 

 

「北習志野駅」は昭和41年4月11日に新規開業した駅で、既に3等級制から2等級制に移行しておりましたので、北習志野発着となる3等の乗車券は存在しない事になります。

 

 

 

 

 

今回ご紹介いたしました券と同じ時期の(京成電鉄)の乗車券です。

 

 

京成独特の駅名が縦書きとなる相互式乗車券で、子会社の新京成電鉄では採用されませんでした。

 

 

 

 

 

 

当時の京成電鉄には、相互式乗車券の他に社線内の地図式乗車券も存在いたしましたが、新京成電鉄は、最初にご紹介いたしました「藤崎台駅」が存在した期間には、前原から三代目の「新津田沼駅」への支線が存在いたしましたが、社線内の地図式乗車券は登場しなかったものと思われます。