佐世保~たびら平戸口~伊万里~有田間を運行します松浦鉄道(MR)西九州線の代表的な車両と言いますと、現在は上の画像にありますように、3つの塗り分けの車が所有しておりますMR-600形気動車が最も知られておりまして、所有車両も上の画像のように画像1のMR-601から画像3のMR-621まで計21両が在籍しております。
この他、それぞれ1両しか存在しておりませんMR-400形気動車(-401)、営業用以外にもイベント時の運行でも活躍しますMR-500形気動車(-501)「レトロン」の2形式も存在しておりまして、こちらも全線におきまして活躍する姿も見られてもいまして、これら車によりまして西九州線を支えております。
けれども、それ以前にはこれからご紹介しますように、代表格として在籍しておりましたのがMR-100形気動車でありますが、昭和63年にJR松浦線から第3セクターの松浦鉄道に転換しましてから最初の車両でもありまして、計17両が導入されておりまして、西九州線全線、さらにJR佐世保線の早岐駅まで活躍する姿が見られておりました。
さて今回は、いわゆる廃車となった時でもありまして、かつ海外譲渡前の姿でもありましたMR-100形気動車の佐々駅で見られておりました姿に関しまして皆様にご紹介してまいります。
(廃車後この位置に留置→トレーラーに載せられていました)
松浦鉄道MR-100形気動車は、平成4年までに先述のように17両導入されておりまして(以下画像4・昭和63年製MR-111、画像5・平成4年製MR-126(最終導入車))、画像からもわかりますように貫通型の車両でもありました。したがって、2両以上で運行されます際にはその貫通扉を大いに生かしても運行されておりました。
(MR-111)
(MR-126)
尚、このMR開業時には非貫通のMR-200形、同じく非貫通でイベント用のMR-300形各気動車も計7両所有しておりまして、その姿は平成10年代末まで見られておりました。
しかし、転換後20年近くに達しまして車両自体が老朽化に差し掛かった事もありまして、平成19年より上の画像にもあります最新鋭のMR-600形気動車の導入が開始されますと徐々に運用を離脱していきまして、平成23年には全廃となってしまった車両でもあります。
この中には、MR-109号の「平戸オランダ年」ラッピング車両も含まれておりましたが、このラッピングが施されました平成21(2009)年はオランダの東インド会社が1609年に平戸に貿易拠点を置きましてちょうど400年となった事を記念しまして、このラッピングが施されていた車でありました。しかし、この車も全廃した年の平成23年に運用を離脱・廃車となっております。


尚、全廃となりましてもMR-200形・MR-300形各気動車を含めましてほとんどの車両が海外(ミャンマー)に渡りまして第2の車生を送っておりまして、日本での解体へは至っておりませんでしたし、譲渡の際には上の画像の佐々駅側線よりトレーラーに載せられまして港へと運ばれておりました。
ここからは、タイトルにもありますように海外に渡る前の佐々駅での姿をご紹介してまいりますが、画像は平成22年撮影のMR-121号であります。
このMR-121号は、この平成22年に導入されましたMR-600形気動車616号~618号との置き換えのためにこの年秋頃に運用を離脱、以下画像のように運賃表や運賃箱、さらには方向幕も撤去しまして、画像にありますように佐々駅の1番ホーム横の側線において留置されておりまして、その後海外へ譲渡と言う事につながったようであります。
このMR-121号の年式は、以下画像のように平成元年製の車両であります。松浦鉄道は今から35年前の昭和63年にJR(旧国鉄)松浦線から第3セクターに移管されたものでありましたが、この車両は移管のために導入された車ではなく、翌平成元年の本数増発・駅の増駅(8駅)をきっかけに導入された車でありまして、以来22年間、西九州線全線を運行し続けておりましたが、残念ながら運用を離脱へと至っていたものでありました。


その後、MR-121号は佐々駅の側線からトレーラーに載せられまして陸送されまして、船に載せましてからミャンマーへ送られまして、ミャンマーの地で第2の車生を送っております。私自身、ミャンマーでの姿に関しましては存じておりませんが、同じ車の中では塗装を変更されまして活躍している車あれば、エンジンを取られまして客車として扱われている車もあるなど、様々な用途で使用されているようでもあります。