現在、長崎地区と言いますと、代表的な気動車が上の画像1のYC1系気動車でありまして、長崎線の小長井駅より南、佐世保線・大村線全線で活躍の場が見られております。
これまでもご紹介しておりますように、JR九州の長崎地区では長崎線の肥前浜駅以南が非電化となった事もありまして、活躍の場が見られております。特に大村線では定期の普通列車・快速列車が全列車YC1系気動車となっておりまして、より主力としての姿が見せております。
それとともに活躍の場が見られ始めましたのが、画像2にありますキハ47形気動車でありまして、「上下分離区間」のうちの非電化区間(肥前浜~諫早間)では主力としての姿を見せております。
このキハ47形気動車に関しましては、これまでも活躍の場が見られていた事がありまして、昭和59年改正前までは早岐機関区(現・佐世保車両センター)所属車も見られていた事から長崎線・佐世保線などで活躍の場が見られておりましたが、徐々に縮小して行きまして、旧長崎運転所所属車が少なからず残されておりましたが、平成13年に一度長崎地区から撤退しております。
そして、平成13年から令和3年まで長崎地区の主力気動車として存在していましたのが、以下画像のキハ66・67系気動車でありまして、旧直方気動車区(現・直方車両センター)に全15ユニット30両が転属しまして活躍していた事が記憶に新しいのではないかと思います。
キハ66・67系気動車は、長崎線の諫早~長崎間、佐世保線の早岐~佐世保間、そして大村線全線(早岐~諫早間)で運行されてきた気動車でありまして、運行終了前の令和3年6月末の時点で8ユニット3種類の塗装が存在しておりましたが、「国鉄急行色」が2ユニット、ハウステンボスのイメージカラーでもあります橙色の「ハウステンボス塗装」が1ユニット、そして、青の「SSL塗装」が5ユニット存在しておりましたが、特に上の画像にもあります「国鉄急行色」の組み合わせはラッキーな事とも言われておりました。
現在は上の画像3・以下画像の1番ユニットが小倉総合車両センターに残されておりますが、それ以外はその小倉総合車両センターにおきまして解体されております。
(令和6年工場まつりにて)
さて、今回ご紹介しますのは、キハ66・67系気動車最後の団体臨時列車の運行としまして、かつて運行されておりました夜行普通列車「ながさき」のリバイバル運行が令和3年6月27日・6月28日の2日間にかけまして2ユニットを使いまして運行されておりました。今回は、この団体臨時列車には参加しておりませんでしたが、6月28日の未明、深夜にもかかわらず長崎線・佐世保線・大村線各所で動画を中心に撮影を行っていた模様を皆様にご紹介してまいります。
キハ66・67系気動車は、運行終了までには、キハ66・67系気動車の団体臨時列車がいくつか運行されておりました。以下画像では令和3年6月19日・6月20日の2日間、佐賀県内の路線(筑肥線・唐津線・長崎線)を運行しておりまして、私自身も撮影に出向いてもいましたが、普段見慣れない車両である上に、これが最後であると思うと正直残念ではありました。
(厳木駅にて)
所で、このリバイバル「ながさき」は、先述のようにかつて昭和59年まで運行されておりました夜行普通列車「ながさき」のリバイバル運行として運行されていたものでありまして、以前ユーチューバーでもありますスーツ氏が個人で貸し切りまして運行されておりました列車とほぼ同区間で一般の団体客も乗せて運行されておりまして、往路は筑豊線経由で長崎→門司港間を、そして復路で「ながさき」と同じ区間でもあります門司港→博多→佐賀→肥前山口→早岐→諫早→長与→長崎間で運行されておりました。
使用車両には、上の画像にもありましたように、佐賀県内で運行されておりましたオリジナル座席の2番ユニット、そして痛みも見られておりました以下画像の3番ユニットの計4両編成で運行されておりまして、ツアーも多くの方々が利用されておりました。
ここからは、撮影しました模様をご紹介してまいります。今回このリバイバル「ながさき」の運行に際しまして、後述のように停車駅に関しましては一般の立ち入りができないような策が取られておりましたが、通過駅に関しましては立ち入る事ができておりました。今回撮影のスタート駅が、画像の佐賀市の鍋島駅でありまして、駅名標からもわかりますように佐賀駅の隣駅でもありまして、深夜2時にこの駅に訪れておりました。
そんなこの鍋島駅と言いますと、佐賀県の貨物列車の拠点としての姿が見られておりまして、現在もこの駅発着の貨物列車も運行されておりますし、かつて貨物列車が運行されておりました長崎駅・有田駅にありますオフレールステーションへのトラック輸送の発着駅でもありますが、かつてこの駅では「ながさき」で郵便車・荷物車が存在していた事もありまして荷物の積み下ろしもこの駅で行われておりまして、以下の時刻を見ますとお分かりいただけるのではないかと思います。
(鳥栖→早岐→佐世保・長崎)
(長崎・佐世保→早岐→鳥栖)
この時刻表からもわかりますように、下り長崎行きが佐賀駅発が2時23分発、鍋島駅が2時38分発、久保田駅が2時43分発、上り門司港行きが久保田駅発3時33分発、鍋島駅が3時48分発、佐賀駅が3時53分発と、この鍋島駅で荷物の積み下ろしが行われていた関係で10分前後停車を行っていた事がお分かりいただけるのではないかと思います。
かつて荷物の取扱所があった場所であります。現在は駐輪場となっておりますが、かつては2階建ての建物が存在しておりました。また、現在の鍋島駅駅舎も平成14年に改築されておりまして、かつての名残は見られなくなっております。尚、この駅は現在はJR九州の合理化の一環もありまして無人化されております。
そんな荷物の積み下ろしが行われておりました鍋島駅を、深夜2時25分頃に通過します。編成は、動画を見ますとわかりますように、先頭2両が3番ユニット、後方2両が2番ユニットの編成でありました。私自身も、「ながさき」に関しましては当ブログでもご紹介してまいりましたが、正直こんなド深夜に運行されていた訳でもありますし、一部駅で通過駅はあるもののほとんどの駅で停車していた訳でもありますので、こんな魅力的な列車の再現が見られるだけでも正直嬉しい所でもありました。
この後、私は肥前山口(現・江北)駅へ移動しまして撮影を行う事にしました。が、到着後駅構内へと向かいまして、改札の所で係員に「立ち入らないでください」と言われまして、ホームでの撮影は断念する事になりました。この時の行程では、深夜に停車します駅では必ず同乗していた係員がホームや階段の所におりまして、一般の立ち入りができないようにする策が取られておりました。
そう言った事もありまして、駅の外より車の姿を収めましたが、ヘッドマークには「ありがとう キハ66・67」と書かれておりまして、この姿からも引退が近い事が伺わせておりました。
(アップ)
何とか収める事ができました、「長 崎 長与経由」の行先であります。本来ならば「団 体」の表示であったようですが、今回はリバイバル「ながさき」と言う事もありまして行先が記されていた事はありがたかった所ではなかったかと思います。
そして、深夜2時56分頃(私の時計より)、リバイバル「ながさき」は肥前山口駅を発ちました。その発車時の画像がその下の動画でありますが、使用車両は違っておりましても、発車時の姿はまるで夜汽車を彷彿とさせる姿にも見えていたのが良かったのではないかとも思ったほどでした。何と言いましても普段こんな夜中に運行する事はありませんので・・・。
(発車時の動画)
場所は変わりまして、有田町の有田駅へとやってまいりました。今回の移動では、武雄温泉駅で停車していた間に追いつく事ができておりまして、そして有田駅へ数分ほど早く着く事ができておりました。
リバイバル「ながさき」は、有田駅では10数分ほど停車を行っておりましたが、この間にちょうど同じく追っかけ撮影に来られた方もいらっしゃいましたが、肥前山口駅と同様に係員に改札で止められまして、駅構内での撮影を断念されておりました。やはり、私と同じような目的で動かれている方もいらっしゃった事がわかりますが、停車駅では一般の方を遮断させる事で、安心してツアー客を楽しませようとする所が見られていたのではないでしょうか。
このあと、有田駅の西側にあります外尾踏切で発車シーンの動画を収めました。この時雨が降っていたものの、そんな中でもリバイバル「ながさき」は踏切を通過して行っておりました。
午前4時過ぎ、雨が降る中佐世保市の早岐駅へとやってまいりました。上の画像の時刻表からもおわかりいただけますように、本来の「ながさき」では、早岐駅では佐世保編成と分割・併結が行われていた事から長く停車を行っておりましたが、今回のリバイバル「ながさき」でも約40分ほど停車を行っておりました。
(塀の部分)
リバイバル「ながさき」は、早岐駅2番ホームに停車しておりました。ご紹介しておりますように、停車駅では一般の立ち入りはできないようになっておりましたが、この早岐駅に関しましては元々窓口が閉まっていた事もありまして、立ち入りはできませんでした。したがって、ここでは上の画像にあります塀の部分から停車シーンを収めましたが、次から次へと参加者が撮影に来られていた事もありまして、うまくは収める事はできませんでした。
そこで、最後の撮影駅として早岐駅の2つ先の無人駅でもあります南風崎(はえのさき)駅で通過シーンの動画を収める事にしまして、私は足を運びました。この南風崎駅に関しましては、かつては復員者・引揚者向けにこの駅より専用列車が出ていた駅でもありまして、終戦後には特に賑わっていた駅でもありました。
そして、私の時計で4時45分頃、リバイバル「ながさき」は南風崎駅を通過して行きました。この時には周辺も明るくなってきておりましたし、雨も小降りになっていたのは良かったのではないかとも思ったほどでした。
これで、リバイバル「ながさき」の追っかけ撮影は終了しまして、私自身は家路へとつきましたが、その間にも大村線→長崎線(旧線)を南下しまして、早朝6時20分過ぎに長崎駅に到着しまして、最後の団体臨時列車でしたリバイバル「ながさき」の運行は終了へと至りました。私自身も無事に終わる事を願っておりましたが、無事に終わる事ができて正直良かったと思っております。
今回は、令和3年の運行終了直前に運行されましたリバイバル「ながさき」の追っかけ撮影の話題を改めまして皆様にご紹介しましたが、やはり夜行普通列車でもありました「ながさき」の存在があったからこそツアー企画に至る事ができていた訳でしょうから、参加された方にとりましては夜通しでもありましたのでより楽しさを感じられていたのではないでしょうか。しかも、引退間近のキハ66・67系気動車で企画されていた事はまさに最後の思い出でもあったと思います。残念ながら、「SSL塗装」のキハ66・67系気動車はもう過去のものとなりましたが、この最後の企画をいつまでも心に残していただければと思っております。