デビュー40周年、そして置き換え決定。西武山口線8500系カウントダウン | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

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『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

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大リーグに押されっぱなしな感があるけど、今年も日本のプロ野球公式戦が開幕した。
近年は色々思うことあってプロ野球筋からは距離を置いていて、特に贔屓球団を決めていない。
今年もそれは当分はそのままであるが、まぁいちばん身近な話題をば。


西武山口線。

かつてのおとぎ電車現在の新交通システム(AGT)に転換されたのは、1985(昭和60)年。

早いもので、今年の4月25日で転換されてから40年の節目を迎える。


自分が初めて(現在の)山口線に乗ったのは1987(昭和62)年8月13日。

なんでそんなことをよく覚えているかというと、プロ野球初観戦もその日だったから。

当時の西武ライオンズ球場で、西武ー近鉄戦を父方の祖母および両親と観戦。

西武ライオンズの先発投手は、当時左のエースで絶好調の工藤公康さん。

近鉄バファローズの先発投手は地元エリア創価高校出身、甲子園初出場時のエース小野和義さん。

試合は伊東さんと秋山さんの2発のホームランなどで4-1で西武が勝利。

工藤さんは11勝目を完投勝利で飾った。


その頃から一貫して山口線を走っているのは、8500系。

西武鉄道初にしてAGT車両初のVVVF車として、先に設計された仮称7000系の計画を破棄した上で

3編成12両が新潟鐵工所で新製され、製造年の西暦と1両の車体長8.5mから8500系とされた。

先頃導入が開始された小田急8000形改め8000系とは、形式番号で重複するものはない。


VVVF機器の換装や車内のバリアフリー(車椅子乗車)対応工事は行われているものの、それ以外は

この8501Fがオリジナルデザインで走る以外はラッピング編成として運用されている。


車体のライオンズカラー、ワンハンドルマスコン、ワンマン運転と後に通ずる新機軸も多数採用。


長いこと大手私鉄唯一の異色路線で、黙々と走り続けてきた。


車内も、先頭車の車椅子スペース以外は原型のまま。


開放的な運転席から見る眺めは、遊園地リニューアルと球場のドーム化以外40年ほとんど変わらず。


新交通システム新設に際して開設された山口車両基地。

但し、8500系の書類上の配置は小手指車両基地。

重要部検査と全般検査は、ここから武蔵丘車両検修場にトラックで陸送の上で行われてきた。

但し、概ねプロ野球のシーズンオフの時期に行われてきたため、一般公開で見られたことはない。


プロ野球公式戦のない日やシーズンオフは、西武園ゆうえんち来訪者以外は乗客が少ない。


狭山線に残った101系と共に、狭山路の日常輸送を担い続けてきた。


野球やイベントのない時期の山口線は、他線と全く違う長閑な時間が流れていた。


そんな相反する雰囲気、独特な存在感が、この山口線を今まで残してきたのだろう。


無駄のない直線基調の外観デザイン。

当時のユニフォームに因むライオンズカラーを纏った電車は、この8500系が初。

後に4000系にも帯色処理を変えて継承されたが、もはや球団にはこの頃の面影はない。

黄金時代に因んで付与された編成番号V1-V3と共に、過去の栄華を今に伝えてきた。


しかし、鉄道線への「サステナ車両」導入で101系にも先が見えてきた中…

今年に入り、いよいよ山口線にも変化の波が訪れようとしている。


1月末、山口線に新型車両導入の計画が公表。

https://www.seiburailway.jp/file.jsp?newsroom/news/file/20250122_8500keishinzou.pdf


一昨日には、公式YouTubeチャンネルでも製造状況が公開された。

40年もの長い間、西武ライオンズとともに走り続けてきた8500系。

特に公式戦やイベント開催時には、在籍3編成がフル運用されてきたが…

今の100%で走るのも、この1年以内になってしまった。


野球観戦にはなかなか行かなくなってしまったが、殊に幼少時の思い出が深い車両。

野球観戦の思い出は、初期の多摩湖線351系臨時準急と共に濃いものがある。

区間、距離、ポイントは限りあるが、出来得る記録をこれから仕掛けていきたいと思う。

もちろん、サステナ車両に置き換え間近の在来形式についても、引き続き注力を計画していければ。


全撮影:2025.2.8