12月24日。昨晩までニセコ・ユースホステルに3連泊したが、今日は泊まらないのでチェックアウトする。倶知安駅で(肉まんは買わずに)缶コーヒーだけ買って、07:54発の130レに乗車した。肉まんを買わなかったのは、朝食を抜いて長万部でかにめし(駅弁)を食べようとしたためで、要は節約である。
車窓からロケハンをしつつ長万部には09:52に着いた。すぐに改札を出て、駅前の駅弁屋でかにめし(¥600)を購入し、10:14発の121レの車内で食べた。味はというと、う〜ん、ちょっと…、期待したほどではないなというのが率直な感想だった。
10:33に蕨岱で下車すると、駅前の国道5号を長万部方向に約3km、線路とオーバークロスする地点まで歩いた。蕨岱と二股のほぼ中間である。
そこでまずは急行らいでん2号くずれの1522Dを撮影した後、本命の104レ急行ニセコを撮影した。104レには見慣れない車両がくっついているなぁと思った。帰宅後現像してみたら、検測車のマヤ34だった。撮影後蕨岱に戻り、14:55発の122レで長万部に戻ってきた。
↓国道5号が函館本線をオーバークロスする地点は、上下の列車を狙える好ポイントだった。蕨岱、二股いずれの駅からも遠いのが難点だが…(蕨岱〜二股)(以下の写真は全て1980.12.24撮影)
長万部ではいったん駅を出て、二股側にある人道跨線橋から暮れなずむ駅を発車する101レ急行ニセコを撮った。日の短いこの季節は夕闇が迫っていて、シャッタースピードをかなり遅くしないと露出が合わないのが辛いが、なんとか雰囲気は出せたようだ。
↓早くも夜の帳が下りた長万部構内はずれのも人道跨線橋から101レ急行ニセコを撮った。構内には貨車などが散見され、今とは違ってまだまだ活気に溢れていた。(長万部)
すぐさま駅にとって返し、肉まんと缶ジュースを買ってから16:55発の157Dに乗車、そのまま小樽まで乗り続けるつもり。クリスマスイブの夕食は車内でひとり寂しく肉まんである。鉄チャンは因果だなぁと感じるのはこういうときであるが、どうせ東京にいてもあまり変わりない。でも、今夜の肉まんは豪華に三つである。それだけ腹が減っていた。そして、小樽で札幌からやってきた22:20発の函館行48レに乗り込み、今まで乗ってきた路を引き返す形でイブの夜は更けていくのであった。
ところで、急行ニセコの機関車運用であるが、SL時代は本務機が小樽〜函館の通し、前補機が小樽〜長万部間で、いずれも小樽築港区の受け持ちだった。しかし、1980年12月現在では違ったようだ。
101レは前補機が築港、本務機が五稜郭であることを倶知安でのバルブの際に確認した。補機は当日の貨物1192レの折り返し運用だろう。
これに対し、撮影可能時間帯を走る104レは小樽〜長万部間は本務機が築港、前補機が五稜郭の受け持ち。長万部で両機とも切り離して、交替した五稜郭の別のDD51が函館まで牽引という運用である。このような運用だと、五稜郭に配置されている三つ目が先頭に立つ機会もあるわけで、楽しみが増えた。